南沢泉理 | 「そうやってテレビばっかり見て。うきちゃんはもう準備できてるって」 |
南沢泉理 | 「うきちゃんはもう準備できてるって」 |
南沢泉理 | 「あ、それなんだけど、私、ちょっと今日行くところがあるの。だか ら……」 |
宮代拓留 | 「行くところ?」 |
南沢泉理 | 「うん、ちょっとね」 |
宮代拓留 | 「ふーん」 |
まあいい。 | |
どうせ買い物かなにかだろう。 | |
宮代拓留 | 「じゃあ、今日の夕飯は僕が作っておくよ」 |
南沢泉理 | 「いいの?」 |
宮代拓留 | 「たまには、そういう日があってもいいだろ。いつもいつも泉理に任 せっきりっていうのも悪いし」 |
有村雛絵 | 「おっ、宮代先輩、結婚したら意外といい旦那さんになるかも?」 |
香月華 | 「ん……」 |
南沢泉理 | 「ふふ。拓留、最近は意外と家事なんかも手伝ってくれるのよ」 |
伊藤真二 | 「おいおい、宮代。なに一人で株上げてんだよ」 |
宮代拓留 | 「っ……そんなんじゃないって! そ、それより、ほら、行くんだろ?」 |
南沢泉理 | 「あ、うん、そうね。それじゃあ、暗くなるまでには帰るから」 |
宮代拓留 | 「わかった」 |
小さく手を振り去ってゆく泉理を、僕たちは皆で見送った。 | |
有村雛絵 | 「ま、なんだかんだあったけど、良かったじゃないっすか」 |
伊藤真二 | 「だな。心配してたクラスの連中とも、それなりにやってるみたいだ し」 |
宮代拓留 | 「まあな……」 |
これまで通り、というのはさすがに無理だが、新しく人間関係を構 築しなおしたにしては、上々かもしれない。 | |
宮代拓留 | 「もちろん一部、そうじゃない奴もいるけど、それはあいつも覚悟し てたみたいだし」 |
外見で人間を判断する奴だって少なくはない。 | |
もっとも、泉理もこれまでの付き合いでそういう人間はある程度わ かっていたらしく、多かれ少なかれ傷つきながらも、それはそれと割 り切ってはいるようだ。 | |
伊藤真二 | 「川原もまだ休んでるしな……」 |
彼も来栖乃々が突然いなくなり、その代わりに死んだと思っていた 泉理が現れ、ショックだったのだろう。 | |
けれど、それもいずれ時間が解決してくれるはずだ。 | |
有村雛絵 | 「そだ。今日の部活は課外活動にしません?」 |
伊藤真二 | 「課外活動?」 |
宮代拓留 | 「どうせ、甘いもの食べに行くってだけだろ」 |
有村雛絵 | 「いいじゃないですか、たまには。私、南沢先輩の好きなお店知ってる んですけどー、おみやげ買って帰ると喜ぶんじゃないっすかねー」 |
宮代拓留 | 「たまには課外活動と言うのも悪くないな、うん」 |
伊藤真二 | 「変わり身、早っ!」 |
有村雛絵 | 「決定ー! そうと決まれば、レッツゴー! 行こっ、華!」 |
香月華 | 「ん……」 |
拓留や新聞部のみんなと別れて、一度家に戻った後、私はそこへ向 かった。 | |
彼女に逢うために。 | |
ここに足を運んだのはいつ以来だろうか。 | |
以前は良く訪ねていたが、この南沢泉理の姿に戻ってからは初めて だった。 | |
南沢泉理 | 「…………」 |
南沢泉理としての学校での生活にもようやく慣れてきた。 | |
学校へ行くと決めた日の前夜は、それこそ不安で一睡も出来ないほ どだった。 | |
私のような暗くて、陰鬱な外見の人間が――子供の頃と同じく、そ んなマイナス思考に囚われもした。 | |
それでも、蓋を開けてみれば、意外なほど呆気ないものだった。 | |
もちろん、以前のようにというわけにはいかないが、それでも何人 かは仲良くしてくれる人もできた。 | |
なによりも、事情を知ってそれでも親しくしてくれる拓留や新聞部 の人たちがいるということは、私にとっては何よりの支えだった。 | |
何人かは疎遠になってしまった人たちもいるけれど、それは仕方の ないことだと考えるほかない。 | |
今はこうして、元の姿で新たな人生を踏み出せたことに感謝しかな い。 | |
そして今日、私はその気持ちを彼女に伝えに来た。 | |
南沢泉理 | 「乃々ちゃん……お久しぶり。元気? っていうのも変だよね」 |
「しばらくの間、来られなくてごめんね……」 | |
途中で買ってきた花束を捧げ、私は語りかける。 | |
南沢泉理 | 「わかってる……。私が犯した、乃々ちゃんへの罪は決して消えるも のじゃないって」 |
簡単に赦してもらえることだとも思っていない。 | |
それでも、もし。 | |
ほんの僅かでも、希望を持っていいなら。 | |
南沢泉理 | 「これから前に進むこと……認めてもらってもいいかな?」 |
ずっと後ろ向きで生きてきた私の人生を。 | |
明日という日に向かって――。 | |
来栖乃々 | 「『もちろんだよ』」 |
南沢泉理 | 「え?」 |
来栖乃々 | 「『泉理ちゃん、気づくの遅すぎだよ』」 |
南沢泉理 | 「乃々……ちゃん?」 |
来栖乃々 | 「『泉理ちゃんはね、最初から私の真似なんかせずに、ほんのちょっと だけ手を伸ばせばよかったの。泉理ちゃんの幸せに向かって……』」 |
南沢泉理 | 「…………っ」 |
来栖乃々 | 「『だからこれからは、ね?』」 |
南沢泉理 | 「うんっ、うん……ありがとう、乃々ちゃん……」 |
それはただの私の思い込みだったのかもしれない。 | |
けれど、その声は確かに私の耳に届いていた。 | |
南沢泉理 | 「…………」 |
もう一度しっかりと手を合わせ、彼女の為に祈りを捧げる。 | |
これが終わったら、すぐに家に帰ろう。 | |
今日は拓留がご飯を作ってくれると言っていた。 | |
何を作ってくれるんだろう? | |
大事な誰かに作ってもらう。 | |
誰かが自分のためにご飯を作ってくれる。 | |
それがこんなにも嬉しいことだったなんて――。 | |
その瞬間――。 | |
背後に人の気配を感じた。 | |
南沢泉理 | 「……?」 |
俯いていた顔を挙げ、その場を譲ろうと振り返ったと同時に。 | |
南沢泉理 | 「え……」 |
熱が腹部を貫いた。 | |
南沢泉理 | 「っ……」 |
何が起きたのか分からなかった。 | |
のろのろとぎこちない動きで視線を下げると、何故か紅黒い尖端 が、服を突き破り、私の腹から生えていた。 | |
異様な光景だった。 | |
これは? | |
どういう……こと? | |
柄の生えた部分から、やはり赤黒い染みが制服の上に広がってゆく。 | |
川原雅司 | 「お前の……」 |
南沢泉理 | 「川原……くん……?」 |
川原雅司 | 「ぜんぶ……お前のせいだ……」 |
目の前に川原くんが立っていた。 | |
両手を突き出したまま、わなわなと震えながら、川原くんが私を見 ていた。 | |
川原雅司 | 「南沢……お前のせいだ……」 |
南沢泉理 | 「どう……して……」 |
川原雅司 | 「来栖がいなくなって……死んだはずのお前が現れて……」 |
川原くんはどこか焦点の合わない瞳を私に向けたまま、ぶつぶつと 唱えていた。 | |
川原雅司 | 「おかしいだろ……こんなの……」 |
南沢泉理 | 「川原、くん……」 |
川原雅司 | 「お前だよ……お前のせいで……来栖がいなくなったんだ……」 |
「どこやったんだよ? 返せよ……俺の乃々を……返せよ……」 | |
足元の水たまりが大きくなるにつれ、身体の中心から熱が消えてゆ く。 | |
まるで身体に開いた穴から風が吹きこんだみたいに。 | |
川原雅司 | 「返せよ……乃々を……俺の乃々を返せよ……」 |
川原くんはその場にへなへなと崩れ落ち、どこか一点を見つめなが ら唱え続けていた。 | |
私は――。 | |
南沢泉理 | 「っ……」 |
鉛のように重くなった足を踏み出し、前へと進んだ。 | |
前へ――。 | |
南沢泉理 | 「帰……らな、きゃ……」 |
前へ――。 | |
南沢泉理 | 「帰ら、なきゃ……」 |
前へ――。 | |
南沢泉理 | 「拓留が……ご飯を作って……待ってる、から……」 |
おさえてもおさえても傷口から生命が溢れだし、手足が冷たくなっ てゆく。 | |
それでも私は――。 | |
南沢泉理 | 「帰るん……だ……」 |
だって。 | |
南沢泉理 | 「みんなの……ところへ……」 |
待ってるから。 | |
南沢泉理 | 「家族(みんな)が……待ってる……から……」 |
あれ、おかしいな。 | |
さっきまであんなに青かった空なのに、もう曇っている。 | |
いつの間にか、世界が白と黒に変わっている。 | |
それでも私は。 | |
足を踏み出した。 | |
前へ。 | |
前へと。 | |
南沢泉理 | 「帰ら……なきゃ……」 |
橘結人 | 「お姉ちゃん、帰ってこないね……」 |
山添うき | 「どうしたんでしょう?」 |
宮代拓留 | 「ちょっと遅くなってるだけだろ。もうすぐ帰って来るって」 |
僕たちを取り巻く事件はすべて終わったんだ。 | |
あの頃と違って、不安になることなんて何もない。 | |
橘結人 | 「ねえ、僕、お腹空いちゃったよ……」 |
山添うき | 「駄目だよ。泉理さん待ってなきゃ」 |
橘結人 | 「うん……」 |
それにしても……。 | |
宮代拓留 | 「泉理のやつ、遅いな……」 |
せっかく、あいつの好きなケーキ買って来たのに。 | |
山添うき | 「……?」 |
宮代拓留 | 「どうした?」 |
山添うき | 「……サイレン?」 |
橘結人 | 「救急車? それともパトカー?」 |
山添うき | 「わからないけど……なにかあったのかな?」 |
宮代拓留 | 「どっちでもいいだろ」 |
時計を見る。 | |
もうすぐ8時だ。 | |
宮代拓留 | 「泉理のやつ……遅いな……」 |