ひぐらしのなく頃に祭 橋渡し編


 からん、からん……。
 校長先生が鳴らす手振りのベルが、年季入りのく
たびれた音を立てて廊下から響いてくる。午後の授
業開始の合図だ。
「みんな、授業始まるよ〜。早く席についてー。」
 最近読み始めたゲームの攻略本にしおりを挟んで
ぱたんと閉じると、私はパンパンと手を叩きながら
みんなに着席を促す。それを聞いて、さっきまでわ
いわいと盛り上がっていた下級生たちはいそいそと
自分の席に戻り、教科書やノートを取り出して次の
授業の準備を始めた。
 ……うん、いい子たちだ。年の差は各自ばらばら
だけど、きちんと人の言うことを聞いてくれるのは、
委員長として非常にやりやすい。さすが、雛見沢名
物の団結力ってところかな。
「ねー、魅ぃちゃん。昨日の宿題どうだった?」
「あ、あははは……。まぁ、とりあえず空欄は埋めた
けどね。」
 精度に関してはちょっと自信ない。昨日は村の寄
り合いが遅くまで長引いて、ほとんど宿題に手をつ
ける時間も無かったし。
 ……まったく、『村のペットの飼い方について』な
んて、別にどうだっていいじゃんかさ〜。
「…………あれ?」
 そうぼやきながら教室を見渡すと、ひとつだけぽ
つんと空いた席が目に入る。
 確か、あの席は……。
「ねー、圭一く――前原くんは?」
「え? あ……まだ戻ってきてないみたいだね。」
 レナは教科書を取り出しながら、小首を傾げて私
の問いかけにそう答えた。
 数日前に転校してきたばかりの、前原圭一くん。
彼の机はレナのそのまた隣にあって、まだ真新しい
学生鞄が物寂しい感じに吊り下がっているようにも
見えた。
「……どこ行ったんだろうね。昨日もお弁当食べたら、
すぐに教室からいなくなってさ。」
「えっと、お外にいるみたいだよ。さっき、運動場の
土手の芝生で寝転んでいるところを見かけたから。」
「芝生で、ひとりで?……それ、楽しいかなぁ。声か
けてみなかったの?」
「……なんか、どんな話していいかわかんなくて。『こ
んにちは』って言ったら、『おう』ってちょっと笑っ
てくれたんだけど。……その先が続かなくて。」
 そう言って、レナは肩をすくめながら苦笑する。
……まぁ、最初が最初だっただけに、親しげに話し
かけるのも何だかなぁ。
「……だいたい、こうなったのは沙都子のせいだよ。
あんたがやりすぎたからじゃない。」
「えっ? わ、私でございますか?!」
 いきなり話を振られて、沙都子は驚いたようにノ
ートから顔を上げる。……どうやら、次の授業まで
の課題をやり忘れていたらしく必死に梨花ちゃんの
ノートを写しているが、こちらの会話に聞き耳を立
てていたのは明らかだった。
「挨拶代わりに、黒板消しの直撃だもんね……。」
「みぃ……圭一の頭、真っ白シロスケだったのです
よ。」
「だ、だって魅音さんがおっしゃったのではございま
せんか! 私のトラップ初級コースで、転校生をド
派手に出迎えておやりなさいって! だから私、わ
ざとわかりやすく黒板消しを入り口のドアに仕掛け
てあげたのでございますわ!」
「その中に石を詰めたのは、ちょっとやりすぎだった
んじゃないかな……。」
 今思えば、初級コースにしては凶悪度が高すぎた
と思う。
「しかも角ばってたよね……アレ。当たり所悪かった
ら、医者じゃなくてお坊さん呼んで、お経唱えてる
ところだよ。」
「う…………。」
「それに、踏み出した先に濡れ雑巾を置いていたので
す。引っかかった圭一は、それはもう派手にすっ転
んでいたのですよ。にぱ〜☆」
 ……いや、梨花ちゃん。あのときのことを思い出
すと、かなり『笑えない』から。私ですら固まって、
しばらく声もかけられなかったんだし。
「痛そうだったよね……。しばらく起き上がってこな
かったし……。」
「……確かに、ちょっとどころではなかったかもしれ
ないのです。」
 私たちの顔を見て、梨花ちゃんもさすがに面白が
るのは不謹慎と感じたのか、神妙な顔で俯く。……
沙都子に至っては、すでに罪悪感で半べそだった。
「……でも前原くん、その後何も言わずに席に着いた
んだよね。怒ってなかったのかな?……かな?」
「怒りのメーターが振り切れて、声すら出なかったん
だと思いますのです。そっちの方が、よりいっそう
怖いのですよ。」
「「「………………。」」」
 私たち全員、頭を抱えてやりすぎたことを後悔す
る。あれこれと相談しているうちに、すっかりいつ
もの部活気分で盛り上がって、相手のレベルに合わ
せるという一般常識を完全に、すぽーんと置き忘れ
てしまっていたようだ。まずったなぁ……。
「…………や、やっぱり私、前原さんに謝ってきます
のでございますわ……!」
「いまさら遅いって。それに、……ごめん。よく考え
たら、あんただけのせいじゃないしね。」
 そうだ。そもそも実行したのは沙都子だけど、提
案と賛同をした以上私たち4人の責任だ。もし謝る
なら、全員で頭を下げるのが筋だろう。
 いまさらだけど、……しないよりはずっと、まし
だよね。
「それじゃ前原くんが戻ってきたら、みんなでごめん
なさいしよ? ね?」
「そだね。あ、前原くんには、私が最初に話するから
さ。沙都子は任せて――――、ん?」
 その時だった。
 ずどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど
どどどどどどどどどど――――――っっっ!!!
 突然ものすごい勢いで、地響きが扉の向こうから
この教室へと迫ってきた……?!
「な、なに? 何の音?!」
「……モンゴル民族が大移動でしょうかっ?」
「ここは日本だよ!……って?!」
 すぺらっしゃぁぁあぁんんっっ!!
 地響きが止まった途端、これまたすさまじい音を
立てて教室の引き扉が開かれる。その勢いがあまり

にも大きくて、壁にぶち当たった扉はレールを外れ
て横倒しに倒れかかったが、
「――――ふんっ!!」
 扉の向こうに立っていた人影はそれを片手でつか
み上げると、あっさりとレールに差し込み戻す。
……そして、その人は『顔以外は』何事もなかった
動作でつかつかと教室に入り、教卓の前に立った。
「――委員長、号令。」
「あ、あ、あわ、あわわわ……?」
「どうしたの、委員長? 早く号令を。」
 その人――私たちの担任、知恵留美子先生はに
っこりと『口元だけ』笑って、私に向き直る。……
そんなこと言われても、この一連の流れで号令をか
けたところで、誰も立ち上がるどころか身動きもで
きないと思うんだけど。
「………………。」
 扉に目を向ける。真っ先に思い浮かんだのは『二
人がかりで持ち上げるほどの重さだったはずの扉
を、片手で支えて大丈夫なのか?』の質問だったが、
……めり込んだ手形の跡を見て、記憶の片隅にとっ
とと封印することに決めた。
 というわけで、次の質問……。
「あ、あの、知恵先生? な、何かありました、か
……?」
「――――――!!!」
 きっ! とギリシャ神話のゴーゴンすら逃げ出す
ような絶対零度の視線を受けて、思わず反射的に頭
をかばってしまう。……そこ、情けないとは言わな
いように。すでに下級生たちの中には、失神しかか
ってるやつだっているんだから。
 にしても、……この怒りようはいったい何だ?
思い当たる節がない……こともないけど、知恵先生
がここまで前触れもなく、MAXゲージ突破状態で
登場する理由は見当たらない。と思う。たぶん。
「……知恵。みんなが怯えているのです。挨拶の前に、
状況を説明してもらいたいのです。」
 梨花ちゃん、……あんた、さすがオヤシロ様の巫
女だよ! 空気が張り詰め、時間さえも止まったよ
うな固有結界の中、敢然と手を上げて知恵先生に質
問を投げかけた梨花ちゃんに、私は思わず内心で拍
手を送った。
「………………。」
「……知恵?」
 やがて。
 あくまで自然体で問いかける梨花ちゃんの姿に少
しだけ、……本当にほんの少しだけ冷静が戻った知
恵先生は、ゆっくりと息をこー、ほー、と整える。
そして、激した感情を必死に抑えるような口調で、
ゆっくりと言葉を発していった。
「――皆さん。私は、非常に怒っています。」
 いや、それはわかってます。
「こんな質問をするのは私自身遺憾の上に不本意で
あり、教師として、私自身の資質を再考すべきかも
しれない卑劣かつ愚拙なことだと重々理解しており
ますが……。」
「は、はぁ……?」
「――ですが! 私は生徒の規範たる教師として、
これほどの凶悪犯罪を見逃すわけにはまいりませ
ん! そのためにも、あえて私は鬼になります!!」
 いや、もう言う前から鬼そのものですけど。
 そんな、クラス全員の心のツッコミにも気づくこ
となく知恵先生はばぁぁあぁん! と教卓を両手で
叩きつけると、全員の顔を見渡し(睨み)ながらの
たまり放った。
「さぁ、犯人は速やかに名乗りあげなさい! この
中にいるはずです! 悔い改めて正直に名乗り出た
ら、先生も寛大な気持ちで許してあげましょう!!」
「「「「………………。」」」」
 思わず、隣のレナと顔を見合わせる。そもそも、
誰がやったとか言う前に……その口調と形相を目の
当たりにして、たとえ犯人がいたとしても名乗り出
るやつがいたら、それは自殺願望者だと思います。
あるいは、バカか。
 それにしても、……話が見えない。ここまで知恵
先生が怒り狂ってるんだから、よほどのことがあっ
たんだろうけど……犯人? 凶悪犯罪? いった
い、何があったんだろう?
 ――そこへ。
「……あ、すみません。遅くなりました――――、?」
 ガラガラと扉が開いて、ひとりの男の子が中に入
ってくる。さっきまで話題にしていた転校生、前原
圭一くんだった。
「「「「………………。」」」」
「――――――。」
「…………? あの、何でしょう……?」
 ただひとり、不幸にも遅れて状況の飲み込めてい
ない前原くんは、きょとんとした表情で私たちと知
恵先生を交互に見やる。とりあえず、触らぬ神の何
とやらと私は彼を手招きして着席させようとした
が、それをさえぎるようにずいっ! と巨大な闇の
影が立ちふさがる。――知恵先生だった。
「――――――。」
「…………え、あ、あの……?」
「――――そうですか。そうだったんですか、……
ふふ、ふふふ……!!」
「ち、知恵……せん、せ……っ?!」
 いまだにわけもわからない様子だったが、般若―
―じゃなかった、知恵先生の満面に浮かんだ笑顔を
真正面からダイレクトに向けられて、前原くんは本
能的恐怖から後ずさる。が、数歩下がったところで
すぐに扉に遮られ、背中をぴったり貼り付けた状態
のまま、文字通り退路を絶たれてしまった。
「あ! あのその、あのっ! そ、外で居眠りして
たら、よ、予鈴のチャイムをき、聞き逃してっ!
でっ、ででで、でも! お、遅れて戻ったのは謝り
ます! ご、ごめんなさいっ!!」
「……ふふ、うふふふっ、ふふふふふ……!」
「す、すみません! ごめんなさいっ! ば、ばば
ば罰はあ、甘んじてお受けしますので、ど、どうか
寛大なお慈悲をっっ?!」
 どうやら、授業に遅れてきたことを怒られている
と思ったのか、前原くんは鼻先数ミリにまで近づい
た知恵先生に、必死に謝罪と弁解を重ねる。が、知
恵先生はにっこりと笑ってから、
「――――あなただったのですね、犯人は……!」
「…………へ? は、犯人、って……??」
「……そう、そうですか。そうですよね。いえ、そ
うに決まっています。あなたがやったのですね
っ?!」
「や、やったって……な、なにを?」
 もはや、パニック目前に涙目の前原くんに向かっ
て、知恵先生はびしっ! と指を突きつけながら厳
かに、そして問答無用に言い放った。
「――あなたを、犯人ですっっ!!」

   *   *   *   *   *

「……えー。と、いうわけで。前原圭一くんのこの
たびの罪状について、第一回学級裁判を開きたいと
思います。」
 コンコンと教卓を木槌で叩いてから、裁判長に任
命されてしまった私は厳かに裁判の開廷を宣言す
る。知恵先生の宣言から数分後、周りの机はきれい
に配置を変えて、教室は即席の簡易裁判所となって
いた。
 ……ちなみに、午後の授業は知恵先生の一存で延
期となった。沙都子などは課題提出が延びたと喜ん
でいたが、……いいのかな、本当に?
「では被告の前原圭一くん、前に。」
「行けるかっ! これだけ椅子にがんじがらめに縛
られてるのにっ! しかもこの扱いは何だ? 俺は

A級戦犯か?!」
「あー、被告は静粛に。……命が惜しかったらね。」
「命ぃっ? そりゃどういう意味だ――って、は、
はい……。わ、わかりました……。」
 全身荒縄で椅子に縛りつけられた前原くんは、さ
すがに怒り心頭とばかりに息巻いた声を上げるが、
……原告席?に腰を下ろしたお方の顔を見てすべて
を理解し、矛を収める。これ以上般若モードの知恵
先生の前で下手に騒ぎすぎたら、公務執行妨害とか
何やら理由をつけて、ほんとに十万億土(注:「あ
の世」です)にでも送られかねない。
 まぁ、それはさておいても。
 とりあえず、状況がよく理解できていないのは私
たちも同じなので、私はおそるおそる原告の様子を
窺いつつ、発言を促した。
「で、では……知恵先生。状況の説明をお願いしま
す。」
「……今から、30分ほど前のことです。私は、昼
食のキーマカレーとカレーサラダ、そしてデザート
のカレーヨーグルトを食べた後、裏庭に足を向けま
した。」
 見事にカレー尽くしだね、知恵先生……。昼食か
らそんな高カロリーな献立で、よく胃がもたれない
ものだ。……口には出さないけど。
 いや、今はそんなことどうでもいい。
「そしたら……そしたら、……ううっ! わ、私の
手塩にかけた子供たちが、……子供たちがっっ!!」
「ち、知恵先生……? い、……いったい何があっ
たんですか?!」
「ううっ……! 何があった、なんてモノではあり
ません! 私がそこで見たものは、横たわるこ、子
供たちの無残な姿でしたっ……うううっ!」
 そう言って、知恵先生は顔を覆って泣き出す。そ
の取り乱しように、法廷内(教室)は一瞬にしてた
だごとではない緊張に包まれていった。
「む、無残なって……。と、どんな状態だったので
すか?」
「まさに悪夢です! いえ、生き地獄の光景です!
……ま、まるで殺戮を楽しむように! みんなぐち
ゃんぐちゃんの、バラバラのなきがらになって……
うううっ!!」
「ば、バラバラ……?!」
「ええっ! あれはもう、人間の仕業ではありませ
ん! 悪魔に魂を売り渡した鬼畜っ! そう、人で
なしの所業でしたっ!!」
 ざ、ざわざわざわざわっっ……!!
 泣き崩れる原告の姿に、傍聴席(下級生たち)か
らもざわめきと、同情のすすり泣きが聞こえてくる。
……その、確かに知恵先生の尋常じゃない語りよう
に私たちも、そこでは相当な惨劇が広がっていたこ
とを容易にうかがい知ることができた。
 けど、……『子供』って? 確か知恵先生、独身
だったんじゃ?
「あの、知恵先生……。ちなみにお聞きしますが、
その『子供たち』って何ですか? 親戚の子か隠し
子? それとも可愛がっていたペット?」
「――野菜です。」
「……はい?」
「私の家庭菜園の、野菜たちですっ! ニンジン!
 ジャガイモ! ピーマン! そして、そしてっ
……この前のお給料で思い切って買った、オリーブ
の苗木までっ!!」
「「「「………………。」」」」
 ………………えーと、つまり。
 要するに、……知恵先生が裏庭に作っていた家庭
菜園、別名『カレー菜園』に誰かが入って、野菜を
食い散らかしたか、掘り返したか……ってこと?
 まぁ確かに、私たちも時々水やり当番をあてがっ
て世話しているから、知恵先生が大事にしているこ
とは知っていたけど……そこまで思い入れがあった
んですか??
「そうです! 私にとっては春の到来以来、苦肉も
酸いも甘いも、すべてをともにしてきたかけがえの
ない子供たちだったのです!……それなのに、私の
菜園に汚い足を踏み入れ、土を掘り返し! 可愛い
野菜たちを荒らし、嬲り! 無残に、そして冷酷に
も陵辱していったのですっ!!!」
 そう言って、よよよと泣きじゃくる知恵先生。
……でも、傍聴席からもらい泣きの声は……もう聞
こえてこないわな。
「……ボクの中の知恵のイメージが、大変なことに
なっているのです。」
 梨花ちゃんの呟きに、ひそかに同意。カレーのこ
と以外は、常識のある大人だと思っていたんだけど
なぁ……。
 ま、それはともかく。とりあえず私は気を取り直
りと、漏れそうになるため息をこらえながら知恵先
生に向き直った。
「で、でも……知恵先生? それで、前原くんが犯
人と決め付けるのは、ちょっと無理があるんじ
ゃないですか? 全然脈絡もなければ関係もありま
せんよ?」
 裁判官の立場からは越権かもと思ったが、私は前
原くんの弁護的な発言をする。どう贔屓目にみても、
前原くんとの関連はない。全然ない。
 が、知恵先生は涙を拭うハンカチを握り締めると、
「いいえっ!」と鋭く目を剥いて顔を上げた。
「消去法です! ひとつ、菜園の大事さを理解して
いない! ふたつ、昼休みに外に出ていた!」
「じょ、状況証拠の上に私情入りまくってますけど
……。」
「そしてみっつ! さっきとっさに謝ったのは、う
しろ暗いことを持っている証拠っ! そう考える
と、やはり前原くんが最有力じゃないですか?!」
「い、いや……。あんなふうに迫られたら、私だっ
て頭下げちゃいますよ……?」
「――では、犯人はあなたなのですか園崎さん
っ?!」
「ち、違いますよっ!……だ、だから先生、ちょっ
と落ち着いてくださいって……。」
 ……ダメだ。「子供たち」をめちゃくちゃにされ
たショックで、完全に先生の立場忘れてイッちゃっ
てる。このまま聞いても、どうも埒が明きそうにも
ない。
「えーと、…それじゃ古手検事。原告に代わって
前原くんについて、疑わしきと思われる証拠を提示
してください。」
「はいなのです。にぱ〜☆」
 仕方なく、裁判形式に戻すべく私は検事役の梨花

ちゃんに話を向ける。梨花ちゃんは立ち上がると、
沙都子と集めた前原くんについての情報レポートを
読み上げはじめた。
「被告人の氏名、前原圭一。年齢不詳、住所不定な
のです。」
「ちょ、ちょっと待て! 住所はちゃんとあるぞ!
雛見沢村のえっと……えっと……。」
「――はい、すぐに答えられないのでやっぱり住所
不定なのです。」
「引っ越してきたばかりなんだからすぐに答えられ
るかぁぁあぁッッ!!」
「にぱ〜♪」
 前原くんの必死の反論を、梨花ちゃんは笑顔で涼
やかに受け流す。……にしても、いつもおし黙って
る姿しか印象になかったからおとなしいのかな、な
んて思ってたけど、……意外に熱くなりやすいタイ
プかも。
 ……あ、いけないいけない。仕事仕事っと。
「前原くんについて、他には?」
「まだ引っ越してきたばかりで、正確な情報は少な
いのです。それでも、……知恵の感情的発言はさら
りと水に流してみましても。前原圭一がクラスに溶
け込もうとしないのは事実なのでありますのです
よ。」
「そ、それはお前たちが転校初日に、あんなことを
したからだろうがっ?!」
「その件については、この後に実行犯および関係者
の謝罪があると思いますのです。……でも、それを
差し引いても昼休みになって単独行動をしていて
は、こういう時にアリバイを証明したくても誰もで
きないのですよ。」
「う…………。」
 ……あれ? 激昂して言い返すかな、なんて思っ
てたけど。あっさり引き下がったってことは、あま
り引きずってなかったってことか。
 結構、さっぱりしたヤツみたいだ。仲良くなった
ら楽しそう、マルマル……っと。
「さらに被告人は、花壇で花たちを相手に話しかけ
ていたところを女の子数人に目撃されているので
す。……そして、その時の様子が、あまりにも怪し
かったそうなのですよ。」
「そっ、そうなの? 圭一く――前原くん?!」
 興味深い情報に、思わず身を乗り出してしまう。
前原くんは「ち、違うっ!」と真っ赤な顔で首をふん
ぶん振るが、……その様子がすべてを物語っていた。
「目撃者は腕時計をしていたので、時刻もはっきり
していますのです。昨日の放課後、時間は3時20
分前後で、場所は――。」
「なっ……ちょ、ちょっと待て! あ、あの時周り
には、誰もいなかったはずだぞ?! だ、誰が聞い
てたんだ?!」
「壁に耳あり障子にメアリーなのです。目撃者の個
人情報は残念ながら、プライベートに関することな
ので秘密なのですよ。」
「俺のプライベート保護はないのかぁぁあぁっ
っ?!」
「却下します。なんか面白そうだし。」
「そして、さらにその時話していた会話内容による
と、『やっぱ白だな。純白はいいものだ。』『きっと
それは、お前たちの心がそうさせているんだな〜。』
といって、ひとり悦に入った魔空間が広がって、怪
しさ大爆発だったそうです。ちなみに、白いマーガ
レットの花びらを撫でていた姿も写真つきでありま
すのです。」
 そう言って、梨花ちゃんは4ツ切りサイズの写真
を掲げてみせる。とたんに、傍聴席からひそひそ声
がわきあがった。
 ……って、そんなのいつ撮ったの梨花ちゃん?!
「なっ、……ななななっっ?!」
「この通り、ばっちり激写なのです。にぱ〜♪」
「ぎゃ、ぎゃあぁぁあぁっっ!!」
 ……確かに、そこに映っているのは紛れもなく、
前原圭一くん本人だ。その表情は、……描写するに
はちょっと可哀想だから省略してあげよう。
「お……鬼だ……! あんた、少女の皮をかぶった
悪魔だ……っ!!」
「そんなに褒められると照れますのです。にば〜。」
「褒めてねぇっ!! 力いっぱい褒めてねぇっ
っ!!」
「……あ。それに、他の証言もございますわ。チュ
ーリップの蕾を覗き込みながら、『ピンクも捨てが
たいな……。恥らう幼女みたいでなんか可愛――』」
「……う、うおぉぉおぉっっ!! や、やめてくれ
ぇぇえぇっっ!!!」
 必死に前原くんは、身動きの取れない身体でぴょ
んぴょん飛び跳ねて咆哮している。……なかなか面
白い姿だけど、梨花ちゃんたちの暴露した事実はさ
らに愉快でファンタジーだった。
「花に話しかけてるんだって……。」
「純白って……なんだかやらし〜。」
「……あの人、ひょっとしてロリコン?」
 もはや、ひそひそではなくざわざわと聞こえる声
で、傍聴人たちは口々にはやし立てる。……そして
噂の張本人は、ルルルーと滂沱の涙を流しながら真
っ白な灰になっていた。
「お……おしまいだ……俺の人生……! もう、死
ぬしか……死ぬしかぁ……っ!」
 そこへ。
「――綺麗なものを愛でたいと思う心は、とても素
敵なのです。」
「…………へ?」
 ぽん、と優しく肩を叩きながら、梨花ちゃんは小
首を傾げた可愛いしぐさでにぱー、と笑いかけた。
「ちょっとくらいの変態さんでも、素直に心を言葉
にできる人のほうがずっとずっといい人なのです。
だから圭一はこれからも胸を張って、ふぁいと、お
ー、なのですよ。」
「……う、ううっ、……あ、ありがとう…………。あ、
えっと……?」
「ボクは梨花なのです。古手、梨花なのですよ。に
ぱ〜☆」
「あ、ありがとう……り、梨花ちゃん……ううっ
……!」
 感極まった涙を流しながら、前原くんは感謝の言
葉を口にする。いや、まぁ……咎人が罪を許された
美しい光景、ではあるんだけど……。
「……そもそも奈落に叩き込んだ張本人が、よくも
まぁ言えたものでございますわね。」
 ……あ、私もそう思った。
「……以上の通り、一見クールな一匹狼を気取って
いますが、前原圭一にはとても面白いところがあり
ます。よって、今回の犯行に手を染めた可能性もな
いこともないとは言い切れないのです。」
「どっちだよ?!」
「すべては神様だけが知っていることなのですよ。
にぱ〜♪」
 そう言うと、梨花ちゃんはとてとてと自分の席へ
と戻っていく。……なんか、言いたいことだけ言っ
て混乱をさらにかき回しただけに思えるけど、……
ま、いいか。
「あー、……それじゃ今度は、弁護人。前原くんに
ついて何か反論を。」
「え、えっと……弁護人役の竜宮レナです。あ……よ、
よろしくね、前原くん。」
 いつものおどおどした動作で、おははにかみな
がら前原くんに会釈する。それを見て前原くんも
「お、おう……」と言いながら、ちょっとだけ顔を
赤くした。
 ……なんか面白くない。鼻の下が伸びるスケベな
ヤツ、……っと。
「え、えっと……。前原くんはちょっと怖い感じに
見えるけど、さっきの梨花ちゃんの話を逆に考えた
ら、とっても優しい男の子じゃないかな?……か
な? もし、本当に菜園を荒らすような人だったら、
花に話しかけたりなんかしないと思う。」
 ……なるほど。レナの言い分ももっともだ。
「まぁ、確かに。……『特定対象』には危険人物か
もしれませんが、少なくとも植物に乱暴狼藉を働く
とは思えませんわね。」
 検事役の立場を外れて、沙都子がフォローを入れ
る。……ある意味では止めをさすような発言だが、
今はとりあえずスルーしておこう。

「そ、それに。転校したてで知らない人ばっかりだ
ったら、教室にいても楽しくなかったと思う。そう
ならないようにもう少しレナたちが、色々と気を遣
ってあげるべきだったんじゃないかな、……かな?」
「竜宮……。」
「ごめんね、犯人扱いして。前原くんはそんなこと
しないって、レナは信じてるもん。」
 そう言って、レナはにこっと笑いかける。それを
見て私は、そろそろ潮時だと木槌を打ち鳴らして宣
言した。
「それでは、陪審員の決を採ります。有罪と思う人は、
挙手をお願い。」
 そう言って、うしろで見守る下級生たちを見渡す。
……もちろん、挙手なんてひとつもなかった。
「――はいはい。そんなわけで、……判決ね。被告人、
前原圭一くんは――証拠不十分で、無罪。つーか、
そんなことするわけなし。」
「……え?」
 きょとんと、前原くんは私に向き直ってあっけに
とられた表情。……まぁ、成り行き上ノリで裁判に
なっちゃったけど、最初から前原くんが悪人でない
ことくらい、わかってる。少なくとも、人を見る目
は曇っていないつもりだ。
 それに――。
「あと……ごめんね、初日は。悪ふざけが過ぎちゃ
った。反省してる。」
 私は教卓を降りて、前原くんの前に歩み寄る。そ
して、レナと一緒に荒縄を解きながら、ぺこりと頭
を下げた。
「ごめんね。」
「申し訳ありませんですわ。」
「ごめんなさいなのです。」
「あ、いや、その……。」
 レナも沙都子、梨花ちゃんも続いて前原くんに謝
ってみせる。それを見て彼は、照れくさそうに頭を
かきながらぎこちなく苦笑して返した。
「俺も……悪かったな。ひとり拗ねてるみたいで、
男らしくなかった。ごめん。
 それを聞いて、傍聴席からもわああぁっ、と歓声
と拍手が巻き起こる。……うん、これが本来の目的。
前原くんの自己紹介やり直しと、仲直りの会。
 だから、これでいい。一件落着、大団円――。
「――――いいえ、まだ終わってません。」
「…………へ? わ、わあぁっ?!」
 和気藹々の和解ムードをぶち壊すように、冷え冷
えとした声が背後に聞こえて振り返る。と、ひとり
歓喜の輪に加わることをお断りするかのような能面
をした知恵先生がどアップに映って、思わずその場
にしりもちをついてしまった。
「あ、あの……知恵先生?」
「結局、犯人が誰なのか判明していないままじゃな
いですか! それが確定するまで、この事件は終わ
っていません!!」
「い、いや……。少なくとも知恵先生の菜園を荒ら
すよーな命知らず、うちのクラスの子じゃないです
って。きっと山の動物か何かだと思うし、もうどう
でも――、っ?!」
「どうでも?……どうでも…………ですって
……??」
 ゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッッ!!
 その瞬間。
 氷点下にまで冷え込んでいた教室内の空気が、一
気に絶対零度(−273℃)にまで落ち込んでゆく?!
……しかも、この周囲できらきら輝いてるのは、―
―極寒シベリアでしか見られないダイヤモンドダス
トっ???
 や、……やばいっ! 核地雷ふんじゃったかも
……っ?!
「あ、あああのあのあのあの、そ、そそそその
…………っ?!」
「――いいですか園崎魅音さん。あの菜園はですね、
私の毎月の少ない給料から少しずつつぎ込んで買っ
た種と苗木と肥料で今日まで育て上げた、大事で大
切で何よりも貴重な血と汗と涙とみんなの努力の結
晶なのです! もしあれだけのお金をカレーにあて
がっていたら、きっと何食分かのメシアンのカレー
を食べることができたでしょう。それでも! 私は
つかの間の欲望に耐えて、未来の食材に夢と希望を
かけたのです! そう! クラスのみんなと楽しく
カレー鍋を囲んで美味しく食する、野菜カレーを食

べる日をっ!!」
 別に、それだったら各自家から野菜持ち寄ればい
いじゃん……なんて反論はできない。できるわけが
ない。
 仕方ない……。とりあえずみんなを巻き込むのも
悪いし、頃合を見て場所を職員室にでも移動して、
2時間くらい『苦行』を受けるしかないかぁ……な
んて、考えていたその時。
「――園崎さん。いえ、委員長。」
「へ? は、はい……?」
「先生からの厳命です。クラス委員長の名にかけて、
真犯人を探し出すように。期限は明日、朝のホーム
ルームまでに。」
「早っ?! そ、そんな短期間で、絶対できません
って!! ふ、不可能ですよっ!!」
「できる、できないではありません! やるのです
――絶対に!! なんとしてもっ!!」
 ち、知恵先生……。不可能を可能に変えることが
できるのは、どこかの鷹の英雄さんだけですってば
……。
「できなかったら、皆さんの今年の夏休みの宿題は
去年の2倍。……委員長は3倍にしましょうか?」
「んがっ?!」
 せ、先生っ?! 私は赤い彗星じゃありません!!
 自慢じゃないけど運動その他はともかく、勉強に
関しては旧ザクにすら劣るボール並なんですよ
っ??
「む、無茶苦茶です! そんなの、先生とはいえ横
暴じゃないですかっ!!」
「お黙りなさい! 濫用しなくて、何のための職権
ですかっっっ!!!」
 うわ……開き直ったよ、この人……。
 それでも、もはやこーなっちゃった知恵先生に反
論なんて、私にできるわけもなかった。……とほほぅ。

   *   *   *   *   *

「えー。と、いうわけで……雛見沢少年探偵団の諸
君には、犯人逮捕のため猛烈な奮励を希望するもの
である。以上っ!」
「「「「…………はぁ。」
 皆、一様にテンション極小値の生返事。そりゃそ
うだろう。何が悲しくて、ミッション・インポッシ
ブルに参加しなくてはいけないというのか。
 が、……退路がない以上、嘆いてばかりもいられ
ない。長い人生、玉砕と知りつつも、戦わなくては
いけないときがあるんだ!……きっと。
「……と、とりあえず、みんな頑張って行こうよ!
 楽しい夏休みのためにも、ね?」
「……まぁ、確かにそうでございますわね。」
「宿題だけで夏休みが終わったら、絵日記黒で塗り
つぶしたくなるしね……。」
「ふぁいと、おー……なのです。」
 激励しても、初っ端から絶望感たっぷりの船出の
様子に早くもめげそうになった。
 ……こりゃ、あかんかも。今年は川の冷たさより
も、図書館の涼しさで暑さを乗り切ることになるか
もなぁ……。
「――なぁ、それはともかくとしてだ。」
「え?」
「なんで俺まで、探偵団の一員なんだ? 関係ない
とは言わないが……。」
「だって、ひとりは男がいないと『少年探偵団』に
ならないじゃん。」
「そ、それだけの理由かよ……。」
 とほほ、と前原くんは脱力して肩を落とす。まぁ、
理由はそれだけじゃないんだけど……とりあえず参
加してくれるあたり、付き合いの悪いタイプじゃな
さそうだ。
「おーっほっほっほっ! それに前原さんは、冤罪を
晴らすという大事な仕事が残っておりますわよ?」
「冤罪も何も、さっきの判決で無罪放免じゃなかっ
たのかよ?!」
「実は、明日の朝までの執行猶予付きなのです。」
「聞いてねぇぞ!」
「今決まりましたのですよ。にぱ〜☆」
 そう言ってからかう、沙都子と梨花ちゃん。前原
くんも怒ったり叫んだりだけど、とりあえず傍から
見れば楽しんでるようにも見える。
 ……ひょっとしたら、頭のレベルは二人と同水準
かもね。
「まぁまぁ。前原くんだって、一度でも犯人扱いさ
れたってのはしゃくでしょ? ここはひとつ、汚名
挽回の絶好の機会ってことで!」
「……魅ぃちゃん、『汚名返上』だよ。挽回なんてし
たら泥沼になっちゃう。」
「………………。」
「……なぁ、園崎。」
「なによ?」
「実はお前……意外にバカ――ぐはっ?!」
「それ以上言ったら、殴るよ。」
「もう殴ってるって……。」
 ……と、それはまぁ、さておき。
 私たちは現場検証をすべく、裏庭のカレー菜園へ
と足を運んだ。

   *   *   *   *   *

「う〜む、これは……。」
「……確かに、ひどい状況なのです。」
 梨花ちゃんの言葉通り、菜園の中は乱雑に土を掘
り返されていた。
 あちこちにはかじられたように欠けたり、折れた
りした野菜が散乱している。ちょっと前に見た、手
入れの行き届いた様子を思い出してみれば、知恵先
生が怒り狂うのも当然かもしれない。
「では、あまり気乗りしませんけど――始めましょ
うか。」
 そう言いながらも沙都子は、どこから手に入れて
きたのか黄色い「KEEP OUT」のテープを菜
園の周囲にべたべたと張り巡らして、わざわざそれ
を大仰に潜り抜けながら菜園の中に足を踏み入れ
る。そしてポケットから虫眼鏡を取り出すと、掘り
返された跡を慎重に調べ始めた。
 ご丁寧に、白手袋までして……ノリノリじゃん。
「沙都子、何か残ってる?」
「遺留品は……特に見当たりませんわね。衣服の切
れ端とか、凶器が残っていればベストなんですけ
ど。」
 ……だから、殺人事件じゃないってば。
「でも、……よく見たら、荒れた地面に足跡があち
こちに見えますわね。しかもこれは、結構大きいも
のですわ。」
「本当?」

「ええ。大きさは、人間……それも、子供くらいで
ございましょうか?――ほら。」
 そう言って沙都子は、親指と人差し指で長さを示
してみせる。確かに、大きさから考えれば人間の子
供、それも年少組のそれに近い。
「それじゃ……やっぱり、犯人はクラスの誰かなの
かな? かな?」
「生で野菜を食べるのは、なかなかに難しいのです。
特にニンジン丸かじりは、年少組の子では無理だと
思います。沙都子だったら、絶対不可能なのですよ。」
 そう言って、沙都子と一緒に中に入った梨花ちゃ
んは、歯型のついたニンジンをひょい、と摘み上げ
る。ニンジン嫌いの沙都子はそれを近づけられたと
たん、ひっ、と渋面で顔を背けた。
「確かに、いたずら目的だったらわざわざ、野菜を
丸かじったりしないよな。」
「だったら、山のイノシシ?……にしては、足が大
きいんだよね。」
「じゃ、クマ?」
「熊だったら、この程度じゃすまないよ。それに結
構大きな図体だから、人目につかないとは考えにく
いね。う〜ん……。」
 困ったな……。せめて足跡が何かの獣とすぐにわ
かるものだったら、村の猟友会に頼み込んで適当に
犯人を「でっち上げて」もらうつもりだったんだけ
ど。
「ふむ…………、ん?」
 そのときだった。
「? どうしたの圭一く……前原くん?」
「園崎。このオリーブ、見てみろよ。」
 前原くんは中腰の姿勢で私に振り返りながら、す
ぐそばに並んだオリーブの苗木を指差す。それは葉
っぱがいくつかちぎられた上、支木を抜かれた状態
で倒れかかっていた。
「これがどうかしたの?」
「この苗木。一本は葉っぱをちぎった跡があるけど、
……他のは手付かずだし、なにより歯型がついてな
い。周りの野菜には全部、一度はかじった跡がある
のにさ。」
「……それで?」
「確か山の動物って球根でも芽でも、食べられそう
なものは何でも一度は口にしてみるって、何かの本
で読んだ。だとすると犯人は、自分のかじったもの
が食用だって最初から、わかっているやつなんじゃ
ないだろうか?」
「????」
「……ナイス推理なのです、圭一。」
 ハテナマークが乱舞する私たちを尻目に、梨花ち
やんがそれですべてが合点したように、にっこりと
微笑む。……それって、どういう意味なんだろう?
「えーと、……ごめん。もう少し詳しく説明して。」
「つまり、圭一の推理はこうなのです。イノシシと
か山の動物なら、オリーブの苗木も食べてしまうは
ず。なのに一度も試していないのは、ある程度食物
に関しての知識を持った動物、あるいは人じゃない
か、と。……ですよね、圭一?」
「え? あ、ああ。推理ってご大層なもんじゃない
けど、まぁそういうことかな……。」
 前原くんは照れくさそうに頭をかきながら、梨花
ちゃんの補足を肯定する。
 ……へぇ、意外。都会っ子ってもっとひ弱で融通
が利かないと思っていたけど、結構鋭いひらめきを
持ってるんだな。
 ちょっと、見直した。
「そういえば、……近くにチューリップとかの球根
もございますのに、まったく見向きもしていないよ
うですわ。」
「ほんとだ!……すごい、すごいよ前原くん! 本
物の名探偵みたい!」
 沙都子とレナの賛辞に、まんざらでもないのか前
原くんは照れ笑いを浮かべる。……なんとなく、そ
れに乗り遅れてしまった私はこほん、と少し悔し紛
れに咳払いすると、みなの注目をこちらに向けて言
った。
「とりあえず、有力な手がかりが見つかったわけだ
けど……これからどうしよう?」
「そうだなぁ……犯人を捕まえなきゃ、意味がない
わけだし……。」
「……難しいのです。」
「「「「うう〜〜ん……。」」」」
 一同、頭を抱えて何かいい方法がないか、考えを
めぐらす。と、
「――おーっほっほっほっ! 敵の素性がうかがい
知れたら策など、ひとつに決まっているではござい
ませんか?」
「…………へ?」
「ほら、――あれでございますわ!」
 自信を満面に、沙都子は菜園の一点を指差す。そ
こには、周りの土が掘り返されているが、とりあえ
ず無傷なままのジャガイモと大根があった。
そして――。
「『犯罪者は、現場に戻る』――で、ございます。」
 沙都子はそう言って、にやりと不敵に笑ってみせ
た。

   *   *   *   *   *

「……なぁ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だって、私たちを信じなよ。」
 菜園から少し離れた物陰に身を隠して声を潜めな
がら、前原くんはすぐ後ろの私に振り返って訊ねて
くる。それに対して、私は再三繰り返した返答でこ
たえた。
「それに沙都子のトラップは、なかなかごっついん
だよ〜? 時間さえかければ、クマだってイチコロ
なんだからさ。」
「……いや、それはイヤっていうほど思い知ってる
から。」
 ……時間にして、だいたい8時過ぎ。
 夏至近くとはいえ、いいかげん陽も暮れて夜の帳
が辺りを闇に包む時刻。私たちは親に説明した上で、
犯人を捕まえるべく夜の見張りをすることに決め
た。
 この草陰には、私とレナ、それと前原くん。少し
離れた木陰に、沙都子と梨花ちゃんが息を潜めて隠
れている。それぞれ巧妙なベストポジションを確保
しているので、ちょっと見ただけでは私たちがいる
ことなんてわからないだろう。
 真っ暗闇で電灯もないが、幸いにして今夜は月夜
だ。距離を置いたこの場所からでも、菜園の様子は
おぼろげながら見ることができた。
「……それにしても、月明かりだけで結構、見える
もんだな。知らなかった。」
「あははは、そうだね。都会だったら電灯のない場

所なんて、ほとんどないもんね。」
 都会に住んでいた経験のあるレナは、そう言って
相槌を打つ。生まれも育ちも雛見沢の私はこれがデ
フォルトの光景なんだけど、馴染みのない前原くん
には新鮮に見えるようだ。
「夏に入ったら、蛍が飛んできれいだよ。見たこと
ある? 蛍って。」
「おいおい、バカにすんなよ。あ……でも、キャン
プでちらっと見たくらいだな。それに周りが明るか
ったから、いまいちわからなかった。」
「それじゃさ、いっぱい見えるところ知ってるから。
今度連れてってあげるよ。どう?」
「いいのか? へへっ、そりゃ楽しみだな〜。」
 前原くんは、そう言って笑った。さすがに表情ま
ではわからないが、声は明るく弾んでいるから、喜
んでくれているんだと思う。……なんか、ちょっと
嬉しいかも。
 そよそよと、風が穏やかな流れを運んでくる。
……初夏とはいえ、夜になるとちょっとだけ肌寒い。
「――あ。レナね、紅茶持ってきたの。みんなで飲
まない?」
 さすがレナ、気が利く。むろん私と前原くんは、
即答で領いた。
 レナは物音を潜めながら静かに、持ってきたデイ
パックから水筒を取り出すと、ふたを開いて紙コッ
プに紅茶をなみなみと注ぐ。あたたかな湯気といい
香りが立ち込めて、ついさっきまでの寒さが吹き飛
気分だった。
「さんきゅー、竜宮――」
「レナだよ。」
「……へ?」
「レナね、レナって呼んでくれたほうが嬉しいかな
……かな?」
 そう言って、レナは小首をかしげながら微笑む。
それを見て、ちょっと戸惑ったように前原くんは息
を飲んでから、……軽く吸してから言い直した。
「……さんきゅー、レナ。」
「うんっ。どういたしまして、――『圭一くん』。」
 あ、……あああ――――っっ!!
 思わず上げそうになった叫びを、懸命に飲み込む。
……私もいつから『圭一くん』って呼ぼうか、機会
をうかがってたのにぃぃ――!!
 さ、……先越されたぁぁ……レナにぃ……。こ、
こうなったら……。
 くいっ、くいっ。
「――ん?」
 私は前原くんの袖を引っ張って、こっちに振り向
かせた。
「どうした? そのざ――」
「み・お・ん。」
「…………は?」
「まい・ねーむ・いず・そのざき・み・お・ん。OK?」
「は、はは……。」
 さすがに強引だったか、前原くんは引きつった笑
いを浮かべる。……それでも、前原くんは咳払いを
して息を整えてから、意を決したように言った。
  「……ど、どうした? 魅音。」
  「なんでもないよ、『圭ちゃん』
  ♪」
   ずしゃぁっっ!! ばっし
  やぁぁ――んっっ!!
  「け、圭一くんっ?!」
  「あちっ! あちちちちっ
  っ!!」
   盛大にズッこけた勢いで、
  圭ちゃんは手に持っていた紙
  コップの紅茶をぶちまける。
  その飛沫が太ももの素肌に引
  っかかって、熱さのあまり状
  況を忘れて、その場に転げ回
  った。
   ……やっぱこの子、……面
  白すぎ!
  「くっくっく……! ドジだ
  ねぇ、圭ちゃんは、大丈ぶ―
  ―、?」
   そのときだった。
  「いきなり驚くわ! だいた
  いお前は――」
  「しっ。圭ちゃん、黙って。」
   勝手都合を内心でわびなが
  ら、私は圭ちゃんの口を塞い
  で人差し指を立てる。彼もそ
  れだけで理解してくれて、声
  を飲み込んで息を潜め、身を
  屈めながら菜園に目を向け
  た。
  「―――――――。」
   慎重に、目を凝らしながら、
  目の前を動く物体の様子をう
かがう。それは校舎の陰から姿を見せると、辺りを
うかがうようにきょろきょろと首を振り向けなが
ら、ゆっくりとした足取りで菜園へと近づいていっ
た。
 背格好を見る。……確かに沙都子の見立てどおり、
背丈は小学校の低学年くらい。そして、服装は
…………?
「………………。」
「………………。」
「………………。」
 誰からともなく、3人同時に顔を見合わせる。そ
して再び、菜園の方向に目を戻した。
 月明かりに、ほのかに照らし出されたその姿。
 それは不恰好なほどに、丸まった中で。
 異様に長い、毛むくじゃらの腕をだらんとして。
 まさしく、――――猿だった。
「…………猿?」
「猿、だよね……?」
「むしろ、……チンパンジー?」
 予想外の真犯人の姿に、頭の中が真っ白になる。
……獣だとはおおよそ予想をつけていたけど、……
まさか、猿だったとは。
「というか、……うちの山、 確か猿なんて住んでい
なかったと思うんだけど?」
「流れ者、なのかなぁ……。」
「ね、圭一くん……猿って、一人旅に出たりするの?」
「……そんなの、本人に聞いてくれ。」
 半分投げやり気味に、圭ちゃんはレナにそう答え
る。……私に聞かれても、きっと返答は同じだけど。
 そんな、私たちの気持ちもいざ知らず、猿は菜園
にのっそりと足を踏み入れると、無傷だったジャガ
イモを土の中から掘り出しては、おもむろにがりが
りとかじっていく。きっと、残っていた野菜はこの
夜用に残していたんだろう。……なまじ知性を感じ
るだけに、何だかやるせない気分だった。
「とりあえず……どうする? 捕まえるの?」
「仕方ないだろ。夏休みの宿題がかかってるんだか
ら。」
「……だよね。」
 そう気を取り直して、沙都子の仕掛けたトラップ
に追い立てようと立ち上がったその時――。
 ガランッ! コロコロコロ……。
「――あっ?!」
 猿のことに気を取られるあまり、私は足元に置い
ていた水筒を思わず蹴飛ばしてしまう。その音を聞
いて猿はびくっ、と身体を跳ねさせたかと思うと、
一目散にその場から脱兎のごとく逃げ出した。――
それも、沙都子のトラップの反対方向に?!
「し、しまったっ!」
「このっ、――持ちやがれ!!」
 圭ちゃんは草むらを抜け出すと、猿を追いかけて
だっと駆け出す。私とレナもそれに続いたが、……
やっぱり男女の差か、足の速いレナと違って私はぐ
んぐんと二人から離されていった。
「圭ちゃん、お願いっ! 捕まえて―――――っ
っ!!」
 無茶な願いだと理解しながら、私は懸命に声を振
り絞って、前を走る圭ちゃんに呼びかける。と、そ
れに答えるようにその右手が上がった――かと思う
と、圭ちゃんの走る速度がさらに上がって加速して
いった。
 その背中はあっという間に小さくなって、レナを

引き離し、そして運動場を横切って逃げる猿との距
離を縮めていった――!!
「待ちやがれ、この野郎っ!!」
 あと、10メートル……。
 5メートル……。
 3、2、1……。
 やがて。
「……ど、どうだぁぁっ!!」
 走りながら勢いよく伸ばした腕が、猿の首につい
ていた首輪に引っかかった――その瞬間。
「……えっ? の、のわあぁぁあぁっっ?!」
「――んなっ?!」
「け、圭一くんっっ?!」
 圭ちゃんの身体が、ものすごい勢いで天高く舞い
上がっていった。――

   *   *   *   *   *

「……まぁ、魅音さんたちを疑っていたわけではあ
りませんが。あらゆる状況を想定してこそトラップ
の極意というものでございますから、ちゃあぁんと
第二、第三の手を打っておりましたわ。をっほっほ
っほっ!」
「みー、さすが沙都子なのですよ。ぱちぱちぱち。」
 トラップに吊り下げられた獲物を前に、沙都子は
誇らしげに胸を張って高笑いをする。梨花ちゃんも、
まるで自分の手柄のように嬉しそうに、満面の笑み
を浮かべていた。
 まぁ、今回は沙都子の自慢大会になっても仕方な
い。出藍の誉れとでもいうのか、敵の心理を読んだ
トラップに関してはもはや、沙都子の実力は私以上
なのかもしれなかった。
「にしても、首輪をつけているところを見ると、
……どうやらどこかのペットみたいだね。朝になっ
たら飼い主を問い合わせて、とっちめてやらない
と。」
「あははは、これで一件落着だね〜。……ひとつを
除いたらだけど。」
 そう言って。
 夏休みの宿題倍増という最悪の事態を回避できた
にもかかわらず、喜ぶにも喜べない微妙な表情のま
ま、レナは頭上を見やる。
「お、おぉぉおいっっ! た、助けてくれぇぇえぇ
っっ!! お、降ろしてくれえぇぇえぇ――っ
っ!!」
 ……そこには、哀れ猿と同じトラップに嵌って、
荒縄に簀巻きにされた圭ちゃんが高い木の枝から吊
り下がってブラーンブラーンと揺れていた。
「……どうするの魅ぃちゃん?」
「どうするって……。」
 レナと同じく、呆然と上を見る。……あれだけ高
かったら、たとえ真昼間でも降ろすのは至難の業だ。
 まして、夜ともなれば……かなり無理。いや、今
度こそ本当に『不可能』だなぁ。
「……沙都子、降ろす方法を用意してなかったの?」
「きゅ、急仕上げの仕掛けでございましたから
……。あ、あとはあの荒縄をぶった切るしか方法が
残っておりませんわ。」
「……縄を切った瞬間、命綱なしのバンジーがスタ
ートなのです。にぱ〜♪」
 いや、だから笑えないって。
「――おーい、圭ちゃ〜ん! そんなわけだから、
今夜一晩だけそこで我慢してよ〜! どう、眠れそ
う〜?」
「無理に決まってるだろうがっ!! 風が吹くたび
に揺れるし、寒いし! おまけに隣で猿がキーキー
騒いでるしっ! むしろ罰ゲームだと言われたほう
がまだ納得できるわっ!!」
「――あ。いいね〜、それ! じゃあこれ、罰ゲー
ムってことで〜!!」
「待て! ちょっと待てぇ!! なんで俺が罰ゲー
ム受けなきゃならないんだぁっっ?! 意味がわか
らんぞっ!! お、おお――いっっ!!」
 ……まぁ、とりあえず。
 今度の村の寄り合いでは「猿のペット禁止」を提
案しようと、私はミノ虫状態で暴れる圭ちゃんを見
上げながら心に決めていた。
おしまい