「バイオ1」での「事件」が発覚する前、 ウェスカーは過去20年間にあった 自分と「事件」との関連する出来事を、 5つに分けて記録として残した。 その記録の送り先は 「エイダ・ウォン」となっているが、 この人物の詳細は不明。 ここにその記録を掲載する。 |
そこを初めて訪れたのは、18歳の夏だった。 今から20年前の話だ。 降り立った時の、 ヘリコプターのローターで掻き回された 風の臭いは今でも憶えている。 上空からは何の変哲もなく見えた洋館も、 地上では近寄りがたい何かがあった。 私より2つ年下だったバーキンは いつもと変わらず、手にした研究書類にしか 興味はない様子だったが・・・。 |
1978年7月31日 (月) 私達2人がそこへの就任を告げられたのは、 その2日前、所属する幹部養成所の 閉鎖が決まった日の事だった。 全ては計画されていたようにも思えたし、 単なる偶然とも考えられた。 真相を知る者は、 多分、スペンサーだけだろう。 そのスペンサーが、当時アメリカでの 「t-ウィルス」開発の拠点としていたのが そこ、アークレイ研究所であった。 |
ヘリコプターから降りるとすぐに、 その施設を管理する「所長」が エレベーターの前に立っていた。 「そいつ」の事は名前すら憶えていない。 形式上はどうあれ、アークレイ研究所は、 その日から私とバーキンのものだった。 私達は主任研究員として、 そこでの研究の全権を任されたのだ。 もちろん、それはスペンサーの意志だ。 私達は選ばれたのだ。 私達は「所長」を無視して エレベーターに乗り込んだ。 私はその施設の構造を、前日に 全て暗記していたし、 バーキンは悪気などなく、 他人の事は目に入らない。 2人を相手にした人間は、 最初の5秒で憤慨するのが普通だ。 しかし、「所長」には何の反応もなかった。 |
当時の私は慢心した若造だったので、 その「所長」の様子を気にも留めずに いた。 結局、そこにいた頃の私は スペンサーの手の上で踊っていたに 過ぎず、「所長」はそんな私よりも 自分達のボスである スペンサーの考えを理解していた訳だ。 3人を乗せたエレベーターが 地下へと降りる間も、バーキンは 手にした書類から目を離すことはなかった。 その時、バーキンが目を通していたのは、 2年前アフリカで出現したフィロウィルス の新種「エボラ」の記録だった。 今この瞬間も、「エボラ」を研究して いる人間は世界中に大勢いるはずだ。 だが、その目的は2通りに分かれる。 人を助けるためと、 人を殺すために。 |
知ってのとおり、 「エボラ」が感染した場合の死亡率は90%。 10日で人体組織を破壊する即効性を持ち、 今現在も予防法も治療法も確立されていない。 兵器として使用されれば、 恐るべき威力を発揮する可能性がある。 もちろん、それ以前から既に 「生物兵器禁止条約」が発効されているため、 我々がそれを兵器として研究することは違法だ。 しかし、我々ではなくとも、どこかの誰かが それを兵器として使用しないという保証はない。 そういった場合のために、 予め研究しておくことは合法である。 そして、その境界線は極めてあいまいだ。 なぜなら、使用された時の防衛策の研究には、 どう使用されるかも研究する必要がある。 治療法の研究と、兵器の研究には、 内容には何ら違いは無い。 それはつまり、治療法の研究と偽って、 兵器を研究する事も可能という事だ。 |
しかし、この時のバーキンは どちらの理由にせよ、 「エボラ」そのものを研究するつもりで その記録を見ている訳ではなかった。 そのウィルスには 余りにも欠点が多過ぎたのだ。 まず第1に、生体外では数日しか生きられず、 太陽光(紫外線)で簡単に死滅する。 第2に宿主となる生体(人間)を あまりにも早く殺してしまうので、 次の宿主に移るまでの猶予がほとんど無い。 第3に宿主から宿主への感染には 直接的な接触が必要で、 比較的簡単に防護できる。 だが例えば、次の事を考えてみてほしい。 |
もし「エボラ」を発病した人間が、 体内にウィルスが溢れた その状態で立って歩けたとしたら? そして、意識の薄れた状態でありながら、 感染していない人間へと 自分から接触していくとしたら? もし「エボラ」の遺伝子であるRNAが 人間の遺伝子に影響を与えるとしたら? そして、それによって簡単には死なない 怪物のような耐久力が人体に授かるとしたら? それは人としては死んだ状態でありながら 体内のウィルスを他の生体へと拡散させる 「生体生物兵器」となり得るのではないだろうか? 「エボラ」がそのような特性を 持っていなかった事は幸いだった。 これからも我々だけが その特性を持ったウィルスを 独占し続ける事ができるのだから。 |
スペンサーを中心として 設立されたアンブレラは、 まさに、その特性をもったウィルスを 開発するための組織だった。 表向きはウィルス治療の製薬会社だが、 実体は「生体生物兵器」の製造工場だ。 生体の遺伝子を組み替える、 「始祖ウィルス」の発見が事の発端らしい。 「始祖ウィルス」から 「生体生物兵器」を製造するために、 その特性を強化した 「ウィルスの変異株」を開発する。 それが「t-ウィルス」計画だ。 |
RNAウィルスである「始祖ウィルス」は 突然変異を起こし易く、 それによって特性を強化する事ができる。 バーキンが「エボラ」に興味を持ったのは、 その遺伝子を「始祖ウィルス」に組み込む事での 特性強化だ。 「エボラ」のサンプルは、この時既に、 この研究所にも届いていたのだ。 私達は、何度かエレベーターを乗り換え、 施設の最高レベルに到着した。 そこではバーキンですら顔を上げた。 私達はそこで初めて、 「彼女」と出会ったのだ。 |
「彼女」については 事前に何も知らされていなかった。 この研究所の最高機密であり、 そのデータは一切 外には出されなかったのだ。 記録によると、この研究所が 創設された時からここにいる事になる。 「彼女」はこの時25歳。 だが、名前も、 何故ここにいるのかも判らない。 「彼女」は「t-ウィルス」開発のための 実験体だった。 実験開始日は、 1967年11月10日。 「彼女」は11年もの間、 ここでウィルスの投与実験を受けていたのだ。 |
バーキンが何かをつぶやいた。 それは呪いの言葉だったのか、 それとも賞賛の言葉だったのか。 私達は既に、後戻りできない場所まで 来てしまったのだ。 研究を成功へと導くのか、それとも、 「彼女」のように朽ち果てるのか。 もちろん、選択肢は1つしかなかった。 パイプベッドに拘束された 「彼女」の姿は、私達の意識の中の 何かを動かしたのだ。 これもスペンサーの計画した事の 一部なのだろうか? (記録は3年後へと続く) |
1981年7月27日 (月) (前回の記録内容から3年後) この日、アンブレラの「南極研究所」に、 10歳の少女が 主任研究員として配属された。 名前は「アレクシア・アシュフォード」。 私が21歳、バーキンが19歳の時だ。 忌々しい事に、私達のアークレイ研究所でも、 「南極でのアレクシア」の噂は 研究員達の話題を独占した。 古くからアンブレラにいた 年寄り連中にとって、 「アシュフォード家」の名前は 伝説だったからだ。 |
以前から、研究が行き詰まると 無能な老人達は決まってこう言った。 『「エドワード博士」が、生きて居られれば。』 確かに「エドワード・アシュフォード」は 「始祖ウィルス」発見者の1人であり、 「t-ウィルス」計画の基盤を創った 偉大な科学者だったかもしれない。 しかしアンブレラが創設されて間もなく 彼は死んだのだ。 その死から既に13年が過ぎていた。 今更「アシュフォード家」に期待して 何になる? 事実、「エドワード」の死後13年間、 その息子の設立した「南極研究所」は 何の成果も上げてはいなかった。 孫である「アレクシア」の頭脳も 高が知れているではないか! |
ところが、この日を境に、私達の 部下である死に損ないのクズ共が こう言い始めた。 『「アレクシア」様が、 ここに居られれば。』 名家だの血筋だのでしか 人間を判断できない、愚民共が 部下では先が思いやられた。 奴等は、そういう考えだから、 棺桶に片足を突っ込んだ年齢に なっても誰かの指示がないと 動けない下っ端なのだ! ・・・しかし、私にはまだ 分別があった。 |
主任である私が、その時、熱くなっていたなら、 アークレイ研究所での「t-ウィルス」開発は もっと遅れていた事だろう。 いかなる状況でも、冷静に判断できねば 成功は有り得ない。 その時、私は次のように考えた。 古い時代の御歴々を上手く扱ってこそ 研究成果も上げられる。 いつ死んでもおかしくない御老体ならば 危険な実験にも相応しい、と。 全ての人材を合理的に利用できねば 人の上には立てまい? だが、問題はバーキンだ。 「アレクシア」の噂に対する 彼の反応は悲惨なものだった。 |
口にこそ出さなかったが、 バーキンにとって、それ以前では最年少の 16歳で主任になった事は自慢だったはずだ。 そのプライドが「10歳の少女」によって 粉々に砕かれたのだ。 天才として生まれて、初めて味わう 敗北感だったのだろう。 「年下」の、「名家」の、「女」を、 彼は容認できなかったのだ。 まだ何の研究成果も上がっていない 遠い地での人事に翻弄されるとは。 つまるところ彼はまだ子供だったのだ。 しかし精神的に未熟であるにせよ、 バーキンには何としても 立ち直ってもらう必要があった。 私達の研究は、この3年間で 第2段階まで入っていたのだ。 |
この時点での「t-ウィルス」は、 通称「ゾンビ」と言われた「生体生物兵器」の 製造には、安定してきた。 ただ、ウィルスによる遺伝子への影響に、 100%という事は有り得ない。 人によって遺伝子には微妙な違いがあり、 相性というものがあるためだ。 「ゾンビ」から感染しても、 1割ほどの人間は発症を免れる。 こればかりは遺伝子研究を続けても どうにもならない。 9割の人間を発症させられるなら 兵器としては十分なはずだったが、 スペンサーの考えは違ったようだ。 私達のボスは「それだけ」で100%の人間を 殲滅できる、独立した兵器を望んでいた。 だが、一体何のために? |
もともと生物兵器の取り柄は 安価に開発できる事だった。 ところが我々が研究する「生体生物兵器」は、 極めて高価なものになり始めた。 スペンサーも普通に金儲けがしたいだけなら、 こんな道は選ぶまい。 通常の兵器システムとの併用ならば 十分採算が取れるはずだった。 だが「独立した殲滅兵器」として 研究を続けるのは割に合わない。 なぜ採算を度外視してまで この研究を続けるのだろうか? 戦争の概念を変える事で、 「全軍需産業の独占」でも狙っているのなら 理解もできるが・・・。 スペンサーの真意は今でも判らない |
スペンサーの真の目的は別として、 この時バーキンが考案していたのは 戦闘能力を重視した「生体生物兵器」だった。 「t-ウィルス」の遺伝子操作だけでなく、 他の生物の遺伝子情報をも組み込む事で、 「そいつ」を創り出そうというのだ。 武装、又は対ウィルス装備をした人間や、 感染発症を免れた人間をも殲滅する、 「戦闘用の生体生物兵器」、 それは後に「ハンター」と呼ばれる事になる。 だが、その実験は しばらく中断せざるを得なかった。 バーキンから実験体を守るためだ。 |
「アレクシア」に対して 無意味な焦りを持ったバーキンは、 常軌を逸した行動をとるようになっていた。 彼は24時間、研究所に泊り込み、 無計画な思い付きで実験を繰り返した。 私は他の研究員も使って、 実験体が死ぬ前に できるだけ多くの生体サンプルを抽出したが、 彼のスピードには追いつかなかった。 「所長」は何事も無かったかのように、 新しい実験体を補充し、 それも、あっという間に死んでいく。 そこは地獄だった。 だが、その地獄の中で唯1人、 あの「女の実験体」だけは生き延びていた。 |
「彼女」は既に28歳。 もう14年をこの研究所で過ごした訳だ。 14年前の「始祖ウィルス」投与によって 人間としての思考能力は無いはずだが、 もしも心が残っているのなら 「死」こそ「彼女」の望む結末だろう。 だが、「彼女」は生き続けた。 なぜ「彼女」だけが これほど生き続けられるのか? 実験データは他の実験体と 何ら変わらないというのに。 その謎が解けるまでには まだ多くの時間が必要だった。 (記録は2年後へと続く) |
1983年12月31日 (土) (前回の記録内容から2年後) 「アークレイ研究所」で迎えた6度目の冬。 この2年間は ろくな研究成果も上げられず、 停滞した時間が過ぎ去っていったが、 そこに、ようやく転機が訪れた。 きっかけは、この日の朝に受けた 1つの報告からだった。 南極の「アレクシア」が死んだのだ。 死因は「アレクシア」自身が開発した 「t-ベロニカ-ウィルス」の、 感染事故だった。 この時「アレクシア」は12歳。 危険な研究を続けるには 余りにも若すぎたようだ。 |
噂の中には、 「アレクシア」は当初から計画して、 自分自身に「t-ベロニカ」を投与した、 という話もあったが、 いくら何でも、そんな事はあるまい。 たぶん、1年前の父親の失踪の悲しみから 立ち直れず、ミスを犯したのだろう。 その後、「南極研究所」では、 残された唯一の正当な血縁者である 「アレクシアの双子の兄」が 研究を引き継いだが、 「この男」には誰も期待はしていなかった。 結局、「アシュフォード家」は 何の研究結果も出せないまま、 滅びたも同然だった。 私の予想通り、 所詮、伝説は伝説に過ぎなかったのだ。 |
「アレクシア」の死によって バーキンは変わった。 いや、元に戻ったと言うべきか。 だが、何よりも部下である研究員達が、 彼を認めざるを得なくなった事は大きい。 今となっては、彼を越える人間はいないのだ。 ただ、それでも彼の前で 「アレクシア」の話をするのはタブーだった。 私が「t-ベロニカ」のサンプルを 手に入れようと画策した時も、 彼は猛反対したものだ。 「アレクシアの研究」の真相を掴むのは、 しばらく後回しにするしかなかった。 結局、取り巻く状況は好転したものの、 バーキン自身は何の成長もしなかった訳だ。 しかしその頃の私は、そんな事よりも、 もっと大きな疑問を抱えていた。 |
私達の「アークレイ研究所」は 深い森に囲まれている。 私はよく、その中を散策したが、 山岳地帯の中心部に位置する 「この研究所」の近くでは、 人と出会う事は全くなかった。 そこへの交通手段はヘリコプターしかなく、 人が訪れるような場所ではなかったのだ。 周りに人がいないという要素は、 万が一、ウィルスが流出した場合の 被害を最小限に食い止める上で、 もちろん重要な事だ。 だが「生物兵器」はそれほど 単純なものではなかった。 「ウィルス」は人だけに 感染するものではないのだ。 |
どんなウィルスも、1つの種だけを 宿主とする訳ではない。 例えば「インフルエンザ・ウィルス」は 確認されているだけでも、 人間以外に、鳥や、ブタ、 馬、アザラシまでも宿主とする。 ここで複雑なのは、その種の中の全てが 宿主となる訳ではなく、 鳥の中でもカモやニワトリは宿主となるが 別の鳥はならなかったりする事だ。 しかも、「同じウィルス」でも、 「その変異株」によって、更に宿主は変わる。 「1つのウィルス」だけを対象としても 宿主となる生体を 全て把握する事は不可能なのだ。 そして問題は、「t-ウィルス」が持つ 種を越えた適応性の高さにある。 |
バーキンが使い物に ならなかった頃、 私は「t-ウィルス」の 二次感染性を調べていた。 そこで判った事は、 「t-ウィルス」はほとんど、 あらゆる種の中に宿主となる 生体がいる、という事実だ。 動物だけでなく、 植物、虫、魚など、ほとんどの 種が「t-ウィルス」を 増幅拡散させ得る 可能性を持っている。 「研究所」を出て、森の中を 歩く時、私はいつも考えた。 スペンサーはなぜ、ここを 選んだのか? |
森の中には、あらゆる生態系が集まっている。 もし、ここで「ウィルス」の流出があり、 宿主として合致する生体がいた場合、 どうなるのだろうか? それが昆虫だった場合、元が小型なので、 単純な二次感染だけならば 大きな脅威にならないと感じるかもしれない。 だが昆虫は、生物的に、 爆発的な大量発生をする可能性がある。 その場合「ウィルス」は どこまで広がるのだろうか? それが植物だった場合、 自分からは移動しないので、汚染の拡大は 少ないように思えるかもしれない。 だが、その植物の出す花粉はどうなる? |
この場所は、あまりにも危険だった。 考えてみれば、「アシュフォード家」が 研究所の設立場所を「南極」にしたのは、 至極当然の事だ。 それとは逆に、ここはまるで、 ウィルスを拡散させる目的で選んだ 拠点のようではないか。 だが、まさか、そんな事があるのだろうか? スペンサーは私達に 何をさせようとしているのだろうか? |
この問題は余りにも大きく、 他の研究員達には漏らせなかった。 この時、私が相談できそうな相手は バーキンくらいだったが、 彼に話しても意味のない事は明白だった。 必要なのは情報だ。 この頃から私は、研究員としての 自分の立場に限界を感じ始めていた。 スペンサーの真の目的を探るためには、 もっと、あらゆる情報に近いポジションに 就く必要がある。 そのためになら、それまでの地位を 捨てる事にも未練はなかった。 だが、急いではいけない。 スペンサーに感付かれては、 全てが終わってしまう。 |
私は自分の考えを誰にも悟られぬよう、 バーキンと共に研究に没頭した。 そんな中、あの「女の実験体」は、 研究所の片隅で忘れられていった。 生き続けるだけの「デキソコナイ」。 意味のある実験データが採れない事から、 いつしか「彼女」は そう呼ばれるようになっていた。 5年後の、あの実験の時までは・・・。 (記録は5年後へと続く) |
1988年7月1日 (金) (前回の記録内容から5年後) 私達にとって、「アークレイ研究所」での 11年目の夏が始まろうとしていた。 その頃は、私も既に28歳。 バーキンに至っては、 2歳になる娘の父親にもなっていた。 相手も「アークレイ」の研究員だ。 互いに、そこでの研究を続けながら、 結婚し、子供まで育てる気になれた事は 普通に考えれば理解し難い。 だが、まともな神経の人間では ないからこそ、「アークレイ」での研究を 続けられたとも言える。 そこで成功する者は、狂った人間だけだ。 |
そして、10年という歳月の中で、 私達の研究は、遂に第3段階に入っていた。 知能を持ち、プログラムされた 命令を遵守し、兵士として行動する より高度な「戦闘用の生体生物兵器」。 通称「タイラント」と呼ばれた モンスターを創り出す事が、それだ。 しかし、その研究には 当初から大きな障害があった。 「タイラント」の基となる、 「生体」の入手が困難だったのだ。 遺伝子的に「タイラント」として適応する 「人間」が、当時は極めて限られた事が 最大の問題だった。 |
それは「t-ウィルス」の性質が原因だった。 「ゾンビ」や「ハンター」を製造する為の 「t-ウィルス変異株」は ほとんどの「人間」に適応したのだが、 脳組織を衰退させる問題があった。 ある程度の知能が維持できねば、 「タイラント」には成り得ない。 バーキンはその問題を克服するべく、 完全適応すれば脳への影響を最低限に抑える 新しい「変異株」の抽出を行なった。 だが「その変異株」に対しては、 「適応する遺伝子を持った人間」が 極めて少なかった。 遺伝子解析班のシミュレートでは、 「1000万人に1人の人間」しか 「タイラント」として発症せず、 他は、ただ「ゾンビ」となるだけだったのだ。 |
研究が進めば、もっと多くの「人間」が 「タイラント」として適応する 別のタイプの「t-ウィルス」も 開発できるはずだった。 しかし、その研究をする為にも 先ず、「新しい変異株」に完全適応する 「人間」が必要とされた。 とは言え、アメリカ全土を探しても 数十人しか存在しないような「人間」が、 「実験体」として連れて来られる可能性は 極めて低い。 実際、その時は、他の研究所からも 無理矢理集めた上で、近い遺伝子のものが 僅か数体用意できただけだった。 私達は、研究を始める前から 暗礁に乗り上げていたのだ。 |
ところがそんな時、ヨーロッパの 「ある研究所」では、全く新しい発想で 「第3段階の生体生物兵器」を 製造する計画があるという噂を耳にした。 それが「ネメシス計画」だ。 私は、その時の状況を変えるためにも、 「その計画」の「サンプル」を 入手するべく行動した。 もちろんバーキンは反対したが、 この時は、何とか彼を説得できた。 「適応する生体」が見つかるまで 私達の研究が進展しない事は、 彼も認めざるを得なかったのだ。 |
ヨーロッパからの「荷物」が、 いくつかの中継を経て届けられたのは、 それから数日が過ぎた深夜の事だった。 ヘリポートに降ろされた「それ」は ほんの小さな箱に入っていた。 「ネメシス・プロトタイプ」。 「フランスの研究所」で開発中だった 「それ」を手に入れる為には、 かなり強引な手段も使ったが、 結局は、スペンサーの後ろ盾が大きかった。 バーキンだけは、最後まで「それ」に 興味を示す事は無かったが、 それでも実験する事の意義は認めてくれた。 「そのサンプル」は全く新しい、 画期的な構想のために開発されたのだ。 |
遺伝子操作によって人工的に 創られた「寄生生体」。 それが「ネメシス」の正体だった。 「知能」だけを特化させた「生体」で、 単体では何もできない。 しかし、「他の生体の脳」に 「寄生」する事によって「知能を支配」し、 高度な戦闘能力を発揮することができる。 「知能」を「戦闘用の生体」とは別に 用意し、その2つを複合する事によって 1つの「生体生物兵器」を 構成しようというのだ。 確かにこれが完成すれば、 「知能」の問題を気にする事なく 「戦闘用の生体」を創る事ができる。 だが問題は、「それ」による「寄生」が 全く安定していない事だった。 |
「サンプル」に添付された書類にも、 失敗による「生体」の死亡例だけが 羅列されていた。 「ネメシス」の「知能支配」から 5分と持たずに、「寄生された生体」が 死亡してしまうのだ。 しかし、未完成の「プロトタイプ」が 危険な事は承知の上だった。 何とか「寄生時間」を延ばす事だけでも 成功すれば、「ネメシス計画」の主導権は こちらが握れる。それが私の狙いだった。 もちろん、あの「女の実験体」を使うのだ。 「彼女」の異常な生命力ならば、 「ネメシス・プロトタイプ」の「寄生」にも 長い時間、耐えられるだろう。 たとえ失敗しても、こちらは何も失わない。 |
ところが、その実験は、私の予想に反して 全く別の結果を引き起こした。 「彼女」の脳に侵入しようとした 「ネメシス」が、消えてしまったのだ。 最初は何が起こったのかすら判らなかった。 まさか「彼女」の方が 「寄生生物」を取り込んでしまうとは、 思ってもみなかったのだ。 それが始まりだった。 それまでは、ただ死なないというだけの 存在だった「彼女」の中で、 何かが覚醒しようとしていた。 私達は「彼女」をもう1度、 最初から調べ直さねばならなかった。 |
それまでの10年間で 「彼女」の事は調べ尽くされていたが、 敢えて過去のデータは無視した。 私達が、この研究所に配属される前の 時間も併せて21年間、誰も掴めなかった 何かが見えようとしていたのだ。 更に長い時間を費やした時、 バーキンだけが、その何かに気が付いた。 確かに「彼女」の中には何かが存在した。 しかし、それは「t-ウィルス計画」 からは逸脱したものだった。 それは全く新しい、別の構想を 生み出す事になる。 私達の運命を変えた 「G-ウィルス計画」の始まりだった。 (記録は7年後へと続く) |
1995年7月31日 (月) (前回の記録内容から7年後) 私が再び「そこ」に降り立ったのは、 そこを初めて訪れた「あの日」から 17年が過ぎた夏の事だった。 「そこ」に来るといつも、 「あの日」の風の臭いを思い出す。 周りの風景も建物も、 あれから何も変わってはいなかった。 ヘリポートの上には、 先に到着していたバーキンの姿も見えた。 彼と会う事すら、既に久しい。 私が「アークレイ研究所」を離れてから、 もう4年が過ぎていたのだ。 |
4年前、バーキンの立案した 「G-ウィルス計画」が承認された時、 私は情報部への転属を希望し、 それは、あっさり受理された。 私が研究員としての道を断念し 転機を図るというのは、誰から見ても 自然な成り行きに見えたはずだ。 実際のところ、「G」の構想は 最早、私などがついて行ける レベルを越えていた。 たとえ、スペンサーの真意を探る という目的が無かったとしても、 その時、研究員としての自分の能力に 限界を見出したのは確かな事だった。 |
ヘリの風が舞い上がる中、 バーキンは相変わらず、 手にした書類から目を離す事はなかった。 彼は定期的に、「アークレイ」には 来ているようだったが、 その彼ももう、そこの所属ではない。 しばらく前に、同じラクーン市内の 巨大地下研究施設に転属していたのだ。 そこが、彼による「G-ウィルス」開発の 拠点となっている。 だが、正直なところ、4年前の私は、 「G」がスペンサーに承認されるとは 思ってもいなかった。 何故なら「それ」は、 兵器としての概念からも逸脱した、 余りにも未知なる 構想の上に成り立っていたのだ。 |
「G」が、それまでの「t-ウィルス」 とは一線を画した理由は、 それに感染した生体自体が 自発的な突然変異を続ける事にある。 もちろんウィルスは、遺伝子が剥き出しの 状態である事から、突然変異を起こし易い。 だがそれは、ウィルス単体での話であって、 生体内の遺伝子は違う。 たとえウィルスによって構造変化した ものであっても、生体内の遺伝子が、 突然変異を起こす事は非常に稀だ。 放射線を浴びるなどの 外的要因があれば、話は別だが。 ところが「G」に感染した生体は、 そんな外的要因を全く必要とせず、 死ぬまで突然変異を繰り返してしまうのだ。 |
これに近い特性ならば、 「t-ウィルス」にも少なからず存在する。 特殊な環境に置かれた「生体生物兵器」が、 体内のウィルスの活性化によって、 遺伝子構造に再変化を起こす事は 既に確認されていた。 だがその為には、あくまでも 外的要因による引き金が必要であり、 再変化も、ある程度の予測の範疇にあった。 しかし「G生体」には、そんな法則は無い。 その変化の行き着く先は誰にも予測できず、 どんな対抗手段を考えようとも、 それを無効化するべく変異していくのだ。 |
7年前バーキンは、あの「女の実験体」に この作用の片鱗を見出した。 「彼女」は外見的には 何の変化も起こしていなかったが、 その深層部は常に変化し、 あらゆる実験用ウィルスを 融合共存しながら生き続けていたのだ。 そして21年間続いた内部変異は、 「寄生生体ネメシス」すら 取り込んでしまうだけの変化を遂げた。 「G-ウィルス計画」は、その特性を 究極まで推し進めようとしている。 しかし、その先にあるものは、 「最終生体」への進化かもしれないし、 崩壊による終焉かもしれない。 ・・・それが兵器と言えるのだろうか? |
スペンサーは何を考え この計画を承認したのだろうか? 情報部に移って4年という歳月が 過ぎたにもかかわらず、 私はスペンサーの真意を掴めずにいた。 そして今やスペンサーは、 アークレイにすら 姿を見せなくなっている。 まるで、やがてそこで始まるであろう 何かを、予測しているかのように・・・。 スペンサーの姿は 砂漠に浮かぶ蜃気楼のように、 私から遠ざかって行く。 だが、チャンスはいつか巡ってくるはずだ。 それまで私が生き延びられればの話だが。 |
エレベーターは、私とバーキンを乗せ、 研究所の最高レベルへと降りて行った。 「彼女」と初めて出会ったあの場所へ。 そこでは、バーキンの後任である、 「ジョン」という名の 新しい主任研究員が待っていた。 こいつはシカゴの研究所から来た男で、 科学者としては優秀らしかったが、 この研究所で働くには 人として、まとも過ぎたようだ。 ここでの研究の残虐性に疑問を持ち、 それを是正するよう、 上層部に意見を提出していたのだ。 それは私のいる情報部でも噂になっていた。 『外部に情報が漏れるとすれば、 先ずは、こいつからだろう。』 というのが皆の意見だった。 |
私達は、そのままジョンを無視して、 「彼女」に対する最終処理を始めた。 「彼女」を殺すのだ。 「ネメシス」を取り込んだ「彼女」は、 僅かながら知性を取り戻したのだが、 それは奇怪な行動を生んだだけだった。 その行動は次第にエスカレートし、 今では「他の女」の顔を剥ぎ、 それを被るようになってしまった。 記録によれば、最初の「始祖ウィルス」 投与の時も、同様の行動を示したようだ。 「彼女」が何を考え、そういった行動に 出るのかは判らなかったが、 最近、3人の研究員が犠牲になった事から、 「彼女」の処分が決定された。 「G」の研究が軌道に乗った以上、 実験体としての「彼女」には、 最早、何の利用価値も無かったのだ。 |
「彼女」の生命反応停止の確認は、 それから3日間に渡って繰り返された後、 「死体」は所長の指示で、 どこかへと運ばれて行った。 結局、「彼女」が何者で、 なぜ「ここ」に連れて来られたのかは、 今も判らない。 もちろん、それは他の実験体も同じだ。 だが、もしも「彼女」がいなかったなら、 「G計画」は無かったかもしれない。 その場合、私とバーキンの現在は、 今とは違っていただろう。 私はその事を考えながら、 「アークレイ研究所」を後にした。 スペンサーは、 どこまで計算しているのだろうか? (それから3年後、「事件」は始まる) |