真夜中の電話ほどいやなものはない。 俺にとって、ほとんどが悪い知らせばかりだ。そうでなければ酒に 酔った、お調子女のまちがい電話ぐらいのものだ。 あのときもそうだ。 じとじとした雨が降る深夜だった。 親父と、おふくろがふたりきりの旅行に出発した三日目の晩のこと だ。 大型トレーラーに追突され、ふたりがミンチになったという知らせ を聞いたのも真夜中の電話だった。 |
ラクーン市警察の特殊部隊スターズに採用された後も、真夜中の呼 び出しは気分のいい仕事ではなかった。 俺の所属するスターズは特殊凶悪犯罪と特別救助を担当する、市警 察とは一線を画した部隊だ。 別に夜中に出動するのがいやだというのではない。 真夜中の救助活動は、俺の経験でいうとたいていがロクな結果を生 まないからだ。 まず街が眠っている時間帯の第一報は、後手にまわるケースが多い。 したがって救助現場に行ったとしても、遺体とご対面ということが 多々ある。 以来俺は、真夜中の電話というものが大嫌いになっちまっている。 しかも若干の不眠症を招くというおまけ付きだ。 いまからほんの二十分前だった……。 信じられない相手から電話が入ったのだ。 |
なぜ信じられないかというと、その相手は三ヶ月前すでに死亡し、 葬式もちゃんと済ませた、幽霊だからだ。 『ク、クリス……俺だ。ビリーだ。俺は生きている。いますぐ助けに きてくれ』 『ビリーだと!? ふざけるな!』 ビリーは俺の高校時代からの親友で、大手薬品メーカーのアンブレ ラ社に勤務する研究員だった。 ところが三ヶ月前、シカゴに転勤することになり、このラクーン市 から会社のチャーター機で飛び立ったのだが、途中で消息を絶って しまったのだ。 十六時間後、捜索隊が大西洋に漂う、大破したチャーター機を発見 した。 そのとき、現場は悪天候のため海は大荒れで、乗員二十一名のうち 八名の遺体は収容できたが、ビリーを含む残りの乗員十三名の遺体 |
は、遠く沖合に流されたか、海中に没してしまったかで、ついに発 見できなかった。 そのビリーが電話をかけてきたのだから、いたずらとしか思えない。 ところがビリーだと名乗るその男の声は真剣そのものだった。 『信じてくれクリス。あのチャーター機は飛び立つとすぐ別の飛行場 に下りて、俺たちは全員このラクーン市に連れもどされたんだ』 相手の声は雑音が交じり、聞き取りにくいが、ビリーによく似てい る。 もしこれがいたずらなら、物真似のプロになれる。 俺は、もう少し話を聞いていてもいいと思った。 ベッド・サイドの時計は午前一時を指していた。 『それで助けてくれというのはどういうことだ』 『まだ信じてないな。俺はこの町である研究を……』 『ある研究?』 |
『とにかく詳しくは電話じゃいえない……。俺は大変なことをしてし まったんだ。その秘密をおまえに……』 俺はだんだんと信じる気になってきた。プロの物真似にしてもうま すぎる。まさしくビリーの声としか思えない。 『頼む。すぐきてくれ』 それでも俺は迷った。でかけて行って、もしいたずらなら、バカを 見ることになる。 だが男がつぎにいった言葉が俺を動かした。 『おまえだけが頼りなんだ。このままだと俺は殺されちまう』 俺はベッドからからだを起こした。 『わかった。そこまでいうなら、だまされたと思って行ってやる。 いまどこにいる?』 『ラクーンの街の北、ヴィクトリー湖のほとりの公園にいる。とに かく、早くきてくれ』 |
最後のフレーズは絶叫に近いものがあった。 『四十分で行く。俺が行くまでそこを動くな』 幽霊からの電話はそこで切れた。 切れたとたん、俺は後悔した。 ザマはない。いたずらに決まっているのに、なんで行くなんて約束 したんだ。 冷蔵庫を開け、冷えたミネラル・ウォーターの入ったペット・ボト ルを手にした。 喉に流しこみ、頭からぶっかける。 ふうっ、と息をはいた。 行く以上、俺はいたずらでないことを願った。もしいたずらでない 場合、考えられることはふたつだ。 ひとつは本当にビリーが生きていて助けを求めている。そしてもう ひとつは、何者かがビリーを騙り、俺を何かとんでもない罠にかけ |
ようとしているということだ。 考えていてもきりがない。 俺は玄関を出ると愛車シェルビー・コブラに飛び乗り、ヴィクトリ ー湖に向かい、アクセルを踏んだ。 アクセルを全開で踏みながら、俺は小学生のころから親友だったビ リーのことを思い出していた。 俺はどうしようもない悪ガキで、あいつは学校一の秀才という奇妙 な取り合わせだった。 まわりからは不思議がられたが、俺たちは妙に馬が合った。 俺たちの仲は高校に行っても変わることなく、卒業するとビリーは マサチューセッツ工科大学に進み、俺はアメリカ空軍に入った。 離れていてもマメなあいつは、半年に一回は俺に手紙を寄こした。 もっとも俺は返事なんかは書いたことがなかったが。 四年後、ビリーは大学を卒業するとアンブレラ社に入り、このラク |
ーンにもどってきた。俺も空軍を退役し、ここのスターズに入るこ とになった。 ふたたび地元でつき合いを再開した俺とビリーだったが、いま、思 い起こしてみると、シカゴへ転勤が決まる前後、やつのようすは確 かにおかしかった。 会っていても妙に黙りこむことが多くなり、転勤が決まっても、ち っともうれしそうな顔をしなかった。 仕事で疲れてるのだろう、ぐらいにしか思わなかったが、本当にそ うだったのだろうか。 市街地をぬけ、コブラは車の少ない通りに入った。 しばらくのあいだ、ゆるやかな直線がつづく。 クン、とアクセルを踏むと、コブラは獰猛な感じで吠え、風を切り、 ズドーンと一気に加速する。 背中がバック・シートにたたきつけられた。 |
コブラのメーターはたちまち二百四十キロを指す。八気筒のエンジ ンが低く低く吠え、唸る。 山道に入った。 急なカーブが眼前に迫る。ギアーを一気に二速にたたき落とし、ア クセルを踏む。 グオーン! とコブラは吠えると、加速し地響きをたててコーナー をぶっ飛んで行く。 三つ目のコーナーをクリアーした瞬間だった。 コブラのヘッド・ライトが女の姿をとらえた。 百二十キロは出ている。 一気にギアーを落とし、激しくブレーキを踏む。 まに合わない! 俺はハンドルを切り、カウンターを当てた。 コブラのタイヤが物凄い悲鳴を上げ、車体を回転させ止まった。静 |
かな山間の闇のなかに、タイヤの焦げる匂いが風に乗って俺の鼻先 を掠めて行く。 「ふうっ」と俺は思わずため息を漏らした。 危うく女を轢くところだ。 幽霊に会いに行く途中、フラフラと女が飛び出してくる。まったく ついてない。これだから、真夜中というのはいやだ。 ヘッドライトがとらえた女は、三メートル先に倒れている。 すぐにコブラから下りると、俺は女に近寄った。 苦しそうに息をしているのがわかる。 駆け寄った瞬間、思わず目をそむけそうになった。 なぜなら、かすかな月の光に照らされた女のからだは、全身が血ま みれになっていたからだ。 「大丈夫か……」 |
俺は女を抱き起こした。 「た、助け……」 女の口の動きで、そういおうとしているのがわかった。 だが、女の口から声が出るはずがない。喉はえぐれ、夥しい血であ ふれ、しゃべろうにもヒュウヒュウと音を立てているだけだ。 腹も同様にえぐられ、はらわたがはっきりと見える。 まるで何ものかに食いちぎられたような傷あとだ。 戦場でさえ、こんな死にざまを見ることはないだろう。まともな神 経を持ったやつなら、とても正視はできない。 女はやがて俺の腕のなかでぐったりとした。 俺の手はあふれる女の血で、たちまち真っ赤に染まった。 息の無くなった女の傷を茫然と見ていると、背後で何か異様な物音 がかすかに聞こえはじめた。 ピチャピチャ……。 |
それは確かに暗く沈んだ森のなかから聞こえてくる。 俺はコブラのダッシュ・ボードからベレッタを取り出し、辺りを窺 いながら、慎重に森のなかへ分け入った。 前方の茂みのなかに隠れるようにオープン・カーが止まっていた。 さっきの女の車なのか。 車の上に黒い固まりがうずくまり、音を立てて何かをなめている。 つぎの瞬間、俺はどうしようもない恐怖感に支配された。 そいつがカマ首をもたげ、こっちを見たのだ。 い、犬……、いや、犬にしては少し大きい。 獣か……!? 静寂のなか、生暖かい風が俺のからだを通りぬけて行く。 そいつは真っ黒な体毛で覆われていた。 耳はピンと天を指し、目はまるでペンキを塗ったかのように、黄色 く濁っている。瞳のまわりには血走ったように細く赤い線が走って |
いた。 淀んだ目の下にある口から見える牙が異様に長い。 牙がごそごそと何かをくわえた。 思わず目を伏せたくなった。 牙に挟まれているのは、人間の眼球だ! 無造作に顎を動かし、ひと呑みする。 やつのからだの下に組み敷かれた男の肉体がわずかに痙攣している。 思わず俺の喉は鳴っていた。 落ちつけ、落ちつくんだ……。 俺は自分にいい聞かせた。 ベレッタを両手でしっかりホールドし、構える。 「この化け物が!」 パーン! 乾いた音が闇夜を貫く。 |
一発、二発……。 獣に向け、つづけざまにトリガーを引く。 闇夜に火花が散った。 ベレッタの弾は獲物に的確に命中していた。 だがやつはひるむことなく不気味な咆哮を上げ、俺に牙を向けてい る。 グルルル……。 なぜ、倒れない……! 俺は狂ったようにベレッタを撃ちまくった。すべての弾を撃ち尽く したそのとき、 クオーン! やつは突如、闇夜を切り裂くように不気味な声で吠え、フワリと宙 を飛び、闇のなかに消え去った。 俺は茫然とし、思わず肩で息をしていた。 |
いったい、なんなんだ。あれは犬じゃない……。 想像もできない獣、化け物だ。 俺の全身は凍りついたように固まっていた。足が一歩も動かない。 全身に冷たい汗が流れ落ちて行くのがわかった。 肩をゆっくりとまわし、大きく息をする。 火を吹き、熱くなったベレッタのマガジンを取り外し、すぐに新し い弾をこめ、闇に注意を払いながら、車に向かった。 案のじょう、運転席は血の海だった。 ダッシュ・ボードのまわり、ハンドル。いったいが夥しい血で覆わ れている。 運転席の男は、見るも無残な姿だった。 先ほどの女とちっとも変わりゃしない。いやそれ以上かもしれない。 顔が斜めに長い牙でえぐられ、露出した頭蓋骨からは、月の光りを 浴び、ピンク色に脳味噌が輝いている。 |
残ったもうひとつの眼球は、肉片を付け、シフト・レバーの横に転 げ落ちていた。 顔の骨までも噛み砕いている。なんという顎の力だ。 腹も臓物が半分見え、腸が飛び出ている。 どんな優秀な整形外科医をもってしても、原型への復帰は不可能だ ろう。 ふうっ、とため息をついた。 そしてたまらずジーンズのポケットから煙草を取り出し、ジッポの 火をつけた。 というのも、形容できないほどのにおいがあたり一面に漂っていた からだ。 生臭い血のにおいだけじゃない。 すえた、我慢できないにおいだ。 一年前の山岳救助を俺は思い出した。 |
十人乗りの軽飛行機が墜落し、生存者は無かった。 真夏の救助活動は、腐乱しはじめた遺体の処理になった。あのとき も、あたりは異様なにおいに包まれていた。 しかしこの場は、それ以上の腐乱臭だ。思わず胃のなかの物が喉か ら出そうになる。 周囲を調べたが、腐乱死体がこのあたりにあるはずもない。 あの化け物が残していったものなのか。 ジッポの火が風で揺れる。 オイルの匂いが少しだけ、俺をほっとさせてくれた。 ボンネットに黒い毛が落ちているのが見えた。そっと手にする。 黒くてかたい、ゴワゴワとした毛だ。 鼻先を寄せる。やはりこのにおいだ。たまらず俺は、指に絡みつい た毛を投げ捨てた。 この種の事件は、これで六件目だ……。 |
この半年間、このように残忍な猟奇殺人事件が、ここラクーンの街 で起きている。 犯人はまだ捕まっていない。いや、犯人の目星すらついていないの が現状だ。 マスコミにもひんぱんに取り上げられ、最近では、市警察の捜査が 怠慢だとさえ非難されている。 俺はコブラにもどり、無線をONにすると、ラクーン市警察に連絡 を取った。 三十分もしないうちに市警察がこの現場にくるだろう。 俺はすぐにコブラに乗り、ビリーと名乗る男の指定した場所に向け エンジンをスタートさせた。 |
湖からの生温かい風が、俺の頬を撫でていった。 あたりはしん、としている。 暑い。 真夏の夜だ。暑いのはわかっている。胸から首筋にベットリと汗が 流れている。 途中、猟奇事件に遭遇したために、男の指定した公園に着いたのは、 約束の時間を三十分もすぎていた。 昼間はカップルや家族でにぎわう湖畔の公園だが、百台以上も駐車 |
できるスペースに、車はいま一台もない。 ビリーを名乗る男はどこにいるんだ? 見通しのきく駐車場をざっと見まわしてみてもだれもいない。 俺が遅くなったため、男は待ちきれずに帰ってしまったのか。それ ともやっぱり、いたずら電話だったのか。 俺は湖岸に沿ってもう少し探してみることにした。 コブラから大型の懐中電灯を取り出し、俺は歩きだした。 男の『殺される』という言葉を思い出した。 いちおう、路上のわずかな染みまで調べてみる。 しかし血痕の類はいっさいない。 前方にボート小屋が見えてきた。 小さいころ、ビリーといっしょに、よくあの小屋で遊んだものだ。 俺は小屋の前に立った。 注意深くドアを開け、ゆっくりなかへ入る。 |
暗い。 懐中電灯で照らしだすと、ボートのオールやロープが雑然と置かれ ている。 ここにもだれもいない。 俺はあきらめて小屋から出ようとした。 とそのとき、向きを変えた懐中電灯の光の輪のなかで、何かがキラ リと光った。 なんだろう。 俺は近づき、その光るものを手に取り、懐中電灯の光にかざして見 た。 思わず息をのんだ。 それは小さな金貨のついたネックレスだった。まちがいなく一年前 に俺がビリーにプレゼントしたものだ。 俺はネックレスを手にボート小屋を飛び出した。 |
電話をかけてきたのはビリー本人だった。やつは生きていて、ここ へきた証拠にこのネックレスを置いて行った……。 「ビリー!」 大声で叫び、あたりを走りまわった。 しかし突如吹き出した風と、それに激しく揺さぶられる樹木のさん ざめきで、俺の声はかき消された。 それに負けじとおれは大声で呼びつづけた。 「ビリー!」 だがいくら呼んでも、いくら走っても、返事をするのは、風の音と、 激しく打ち寄せる波の音だけだった。 どこへ行ったビリー? なぜ俺がくるのを待っていてくれなかった んだ!? 俺は切ない思いで、湖岸に立ちつくした。 |
俺が六件目の猟奇殺人現場にもどったのは、それから一時間近くた ってからのことだった。 現場にはパトカーが五台と、いまや必要のない救急車が一台停まっ ていた。 俺は道のはしにコブラを止め、警官の輪のなかに入っていった。あ の吐き気をもよおすいやなにおいは、すでに風が消し去っている。 しかし、あんな残酷な殺人現場に遭遇しながら、俺の頭のなかにあ るのは、ビリーのことだけだった。 電話で、ビリーはこのラクーン市で、ある研究をしていたといった。 そして、大変なことになってしまったと……。 いったいなんの研究をしていたんだ。 現場保存のテープが張られ、がなりたてる警察無線の音がやたらと うるさかった。 鑑識の連中はサーチライトであたり一面を照らし出し、哀れな死体 |
にシャッター音を浴びせている。 中央にブライアン・アイアンがいるのがわかった。 彼はラクーン市警察の署長である。 「やっとご到着かね。第一発見者がどこに行っていた……」 ブライアンは脂ぎった顔を俺に向けた。 「犯人のようなものを見ましてね。それを追ってました」 ビリーに会うため現場を離れたとは答えられなかった。 「犯人のようなものだと?」 ブライアンの目が光る。 「しかし無理でした」 「ふん。そんなことだろうよ。しかし犯人らしきものを見たという のは収穫だな」 ガマガエルをつぶしたような顔で、ブスッといった。 ブライアンの部下に対する口のきき方はいつもこうだ。 |
自分以外に優秀な人間はいないと思っている。 うわさでは次期選挙で市長に立候補しようとしているらしい。 ラクーンの街はもともとが農業地帯だった。 ところがアンブレラ社という、世界をまたにかけるコングロマリッ ト企業が十五年前に研究工場を建ててから、街は様変わりしてしま った。 アンブレラ社で働く人間のために住宅が建設され、付随する関連会 社も増えて行く。 学校や病院も増設され、この十年でアンブレラ社も傘下企業に勤務 する人間は増えつづけ、いまでは人口構成比の三割の人間がアンブ レラ社に係わっている。 「次期市長候補に逆らったら、スターズはもとより、ラクーンじゃ 生きていけないってことは子供だってわかりますよ」 俺はポケットから煙草を取り出し、ガマガエルを無視してジッポで |
火をつけた。 ブライアンが鋭い目でにらんでいるのがわかる。 増えつづけるラクーンの人口は、街の近代化をうながすと同時に、 犯罪率を押し上げて行く。 いまや市の経済的根幹となったアンブレラ社は、地域社会への貢献 という名目で、五年前、州政府にある提案を行なった。 つまり、増えはじめた特殊犯罪や緊急時の特別救助に対応する、警 察とは一線を画した部隊の設立だった。 これがスターズの始まりだ。 これをきっかけにチーム・スターズは、ラクーン市だけではなくア ンブレラ社の工場がある街に続々と誕生した。 いずれも資金の半分をアンブレラ社が負担するということによって アメリカ全州に広がった。 この街の初代スターズの隊長は市警察署長のブライアンが兼務し、 |
二年前からいまのボスであるウェスカーに替わっている。 ブライアンは初代隊長としてのキャリアを利用し、辣腕警察署長と してアンブレラ社に取り入り、そしていまや市長の座を狙っている、 という構図だ。 死体が救急車に乗せられるとき、激しくストロボがたかれた。地元 のマスコミ連中だ。 テレビ局の良く知ったクルーが何人かいた。 「刑事課長に、目撃した内容を説明しておいてくれ」 ブライアンはくるっと踵を返したかとおもうと、テレビ局のカメラ に向かって歩いて行った。 そして、うってかわったお涙頂戴の顔を見せた。 テレビカメラに向かうと、いかに自分がこの事件について全力を挙 げて対処しているかを政治家のようにしゃべり出していた。 ブロードウェイの俳優顔負けの、まさに名演技だ。 |
刑事課長もやれやれ、といった感じで俺のそばに寄ってきた。 「拳銃の薬莢が落ちていたが、発砲したんだな?」 俺が黙ってうなずくと、彼の顔色が変わった。 なぜなら過去五件の猟奇殺人事件は、いずれも惨殺された後に警察 が現場に到着しているばかりか、目撃者がだれひとりいなかったか らだ。 「犯人の顔を見たのか?」 「いや」 俺はぶっきらぼうに答え、いらついた顔を見せた。 「俺が見たのは犯人の顔じゃない」 刑事課長はきょとんとした顔を見せた。 「どういう意味だ」 「しいていえば犬のような……、化け物だ」 「犬のような化け物!?」 |
鉛の弾を何発もくらいながら、怯むどころか身も凍るような咆哮を 上げたあいつの姿が、俺の脳裏をよぎった。 被害者の鮮血に彩られた鋭い牙は、怖いくらいに輝いていた。 俺は両手を軽く上げた。 「お手上げって状態だな」 俺はコブラに向かって歩いた。すると刑事課長はあわてて俺の後を 追ってきた。 「待ってくれ。この事件、なぜスターズが動かないんだ」 「知らんね。署長に聞いたほうが早いんじゃないか」 俺はぶっきらぼうに答え、軽くアクセルを踏んだ。 「待ってくれ。もっと聞かせてくれ、クリス」 「悪いな。俺はいま、だれとも話をしたくない気分なんだ」 実際そうだった。猟奇事件もさることながら、何よりもビリーの一 件がある。 |
ギアーをニュートラルにし、思いきり空ぶかしをした。 コブラの咆哮が騒然とした現場の空気を一気に切り裂く。 テレビカメラの前で演技をしていたブライアンがあわてて振り返っ た。 俺はブライアンにウインクをすると、猛然とコブラをダッシュさせ た。 |
俺のいるスターズのフロアーは、ラクーン市警察署の二階にある。 スターズはアルバート・ウェスカーを隊長とし、ふたつのチームに 分かれている。 ひとつはスターズの副隊長を務めるエンリコ・マリーニがキャプテ ンのブラボー・チーム。もうひとつが俺の所属する、ウェスカーが キャプテンをやっているアルファ・チームだ。 このふたつのチームの勤務態勢は一日交代になっている。 つまり、アルファ・チームが二十四時間態勢で一日勤務し、その後 はブラボー・チーム、というようなシフトだ。 |
特殊部隊という特性から、休みのときでも臨戦態勢が要求されてい る。当然大がかりな事件ともなれば両チームの合同捜査だ。きょう は、俺たちアルファ・チームが事務所待機のスケジュールだった。 俺が事務所に入ると、メンバーのだれもが殺気立っているのがわか った。 隊長のウェスカーだけはサングラスをかけたまま、いつものように 腕を組み、泰然自若としている。 隊長をのぞき、だれもが殺気立っているのも当然といえた。 ラクーン市民を恐怖と不安におとしいれている猟奇殺人事件が、昨 晩また起きたからだ。 そのうえ、今度の現場には、スターズのメンバーである俺が居合わ せている。 半年前、最初の猟奇殺人事件が起きたとき、メンバーのだれもがス ターズが捜査をすべきだという意見をもっていた。そして二度三度 |
と事件がつづくにつれ、その声は次第に大きくなっていった。 しかし、隊長のウェスカーだけは例外だった。 「我慢の限界です。いったい、いつになったら捜査が俺たちにまわっ てくるんですか」 バリー・バートンがウェスカーに食ってかかっていた。 俺はきのう署にもどってから、取り調べの協力でいままで一睡もし ていない。 眠い目をこすりながら椅子を引き、会議室の一番はしに座った。 「市民は恐怖におののいています」 バリーの低い声が会議室に響きわたった。 俺とやつとは長いつき合いだ。 空軍時代の俺の上官であり、このスターズで偶然にも再会し、いっ しょに仕事をするようになった。 昔から熱血漢で、スターズという特殊犯罪捜査と人命救助という仕 |
事がまさにピッタリの男だ。子ぼんのうで、ふたりの娘を溺愛して いる。 「まだ市警察の指令が出ていないから、どうすることもできない」 ウェスカーが冷たく通る声で答えた。 「いつも同じ答えじゃないですか」 ほかのメンバーのブラッド、ジョセフ、ジル、レベッカまでも同様 に口をとがらせている。 「市警察が指令を出さないなら、独断でやれないんですか」 最近入隊したばかりのレベッカだ。 彼女はいかにもヤンキー娘といった感じで、相手がだれであろうと、 思ったことを平気で口にする。ブラボーチームの所属なのに、ここ に顔を出しているのも、彼女のその性格の現れだろう。 しかし、ウェスカーは動じなかった。 |
スターズのメンバーは、陸軍、空軍の出身、または民間企業のエリ ート等、さまざまな経歴と才能をもった連中が多い。それだけに個 性的な人間が集まっている。 そういった連中を束ねるには、こういうウェスカーのような沈着冷 静な男が適任なのかもしれない。 「君は新人だからわかってないと思うが……」 ウェスカーはお得意の組織論を始めた。 スターズは市警察の管理下に置かれている。つまり市警察署長であ るブライアンの指令なくしては動けない。 この猟奇事件が起きてから、自分たちの手で解決したいという意見 が出されるたびに、ウェスカーはこの組織論を持ち出している。 「そんなことはわかっている。しかし街の連中は、おちおち外を歩く こともできなくなっているんだ」 バリーが机をどん、とたたいた。 |
「バリーのいう通りだわ。こうしているあいだにまた事件が起きたら どうするんですか。クリスが事件に遭遇したんだから、絶好のチャ ンスじゃないですか」 バリーにつづいて、ジルが食い下がった。 彼女は手先が器用なこともあり、チームでは爆弾処理のスペシャリ ストとして活躍している。 ショートの髪が清潔感を漂わせ、大きな瞳がいかにも聡明な感じの するアルファ・チームの紅一点だ。だが、女だからといって甘くは ない。どんな辛い任務であっても、愚痴をこぼさず男顔負けに働く 責任感の強い女だ。 「たとえチャンスでも、組織にいるかぎり勝手な真似は許されない」 「組織、組織って、隊長には自分というものがないんですか」 ジルは挑発した。 だがウェスカーは、ひややかにかわすだけだった。 |
「私個人の性格についての論議は不要だと思うがね」 コーヒーをゆっくりと口もとへ運び、 「もちろん、きみたちの責任感の強さも十分にわかっているつもりだ が」 ウェスカーはチームのなかでも異色の存在だ。 ニ年前、アンブレラの推薦で、このチームの隊長に就任した。卓抜 した腕と才能をもち、他州でスターズの隊長として活躍していたが、 俺たちのチーム強化のためにやってきたのだ。 必然的に、前隊長のブライアンは外されたかっこうになった。 面白くないが、相手がアンブレラの推薦とあっては逆らうわけには いかない。警察署長ということで、立場はブライアンの方が上だが、 周囲の人間にはどちらが上だかわからない、といった評判も立って いる。 口数は少なく、言葉はいつも丁寧。熱い論議に加わることはいっさ |
いない。自分の身の置きどころを、心憎いほど心得ている男だ。 ジルとバリーも、これ以上ウェスカーの組織論には勝てないとあき らめ、ぶぜんとして黙りこんだ。 俺は、最初からこの議論に加わる気はなかった。 うわの空でビリーの残した金貨のネックレスを出し、指にからめ、 ぼんやりともてあそんでいた。 ビリー、おまえはいまどこにいるんだ? おまえは電話で殺されるといった。いったいだれに殺されるという んだ。 そんな俺を、いつのまにか振り返ったバリーが、じっと見つめてい た。 「クリス、そのネックレスはなんなんだ」 俺はその声でわれに返った。 「いや、なんでもない……」 |
あわててネックレスを胸のポケットにしまった。 バリーは、それでも気になるように俺を見ていたが、ウェスカーの 声に視線を元へもどした。 ウェスカーも俺のネックレスに気がついたようだが、それには触れ ず話しかけてきた。 「クリス。くどいようだが、もう一度みんなにきのうの状況を話し てくれないか。市警察から出動命令が下るかどうかはわからないが、 準備だけはしておく必要があるからな」 「わかりました」 短く返事をすると、俺は立ち上がった。 俺は目撃した現場の状況について詳しく、ゆっくりとしゃべった。 説明のあいだ、だれもがしつこく知りたがったのは、オープンカー を襲っていた、あの犬に似た獣のことだ。 どんなに詳細に説明しても、みんなには理解できないようだ。 |
当然だろう。目撃した当の本人である俺も、あの獣の正体がわから ないのだから。 ビリーの電話のことはいっさいしゃべらなかった。 いまの状況では、いくら生きていたといってもだれも信じちゃくれ まい。 「クリス。お願いがあります」 レベッカが大きな画用紙を俺に差し出した。 「化け物の姿をスケッチして下さい」 「スケッチ?」 「だって説明だけじゃ良くわからないし、みんなが正確なイメージを もった方がいいと思うんです」 冗談じゃない。 「レベッカ。クリスに絵の才能があると思ってるのか」 バリーの言葉に、まわりの連中もニヤニヤと笑った。 |
「ないんですか。なーんだ」 本気でがっかりしている。 俺は、思わずムッとした。 「でもな、おまえのピアノよりましだぜレベッカ」 彼女の歓迎会で聴いたレベッカのピアノがどうしようもないのを思 い出した俺は思わず皮肉で切り返し、部屋を後にした。 すぐにジルが後を追ってきた。 「クリス。話があるの」 彼女は真顔で俺の顔をじっと見た。 どう切り出そうか考えているようすだ。 「ひょっとして俺とつき合いたいってのかベイビー」 俺は軽く笑った。 「ふざけないで。クリス、あなた何か隠しているでしょ」 「俺が何を隠しているというんだ」 |
「だっておかしかったわ、きょうの会議」 「ほう。どうおかしかったというんだ」 「だって、猟奇事件に関して、スターズの出動をもっとも望んでいる のはあなただわ。いつも先頭を切って隊長につめよってたじゃない」 感の鋭い女だとは前から思っていた。 「そんなあなたが、きょうに限って、まったく話に加わらないで部屋 のすみでおとなしくしているなんて。いい、クリス。あなたは第一 発見者なのよ」 「俺は一晩じゅう市警察の事情聴取で、一睡もしてないんだぜ。その くらいで何かあると疑われたらたまらないね。あのガマガエルの署 長だって、そこまで疑い深くないぜ」 「ウソ。会議中ずっとあなたのようすを見ていたわ。だから普通じゃ ないって思ったのよ」 「俺のことをずっとか。と、いうことは、やっぱり俺に気があるって |
わけか」 「はぐらかさないで」 彼女は聡明なだけではなく、十二分にしつこい性格だということを 俺は思い出した。 「それにあなたの説明で気になったこともあるし」 「気に……?」 「事件が起きたとき、あなたは市警察に通報したわ」 「当然だろう。スターズの一員であり、善良なラクーン市民のひと りだぜ」 「でも現場からいなくなった」 「説明したろう。獣のようなものを追って山のなかを走りまわって いたんだ。まったく……息が切れたぜ」 「じゃあ、なんで現場に車でもどってくるのよ」 やはりこの女は恋人にはできないと思った。こう鋭くては、おちおち |
ほかの女と遊ぶこともできそうにない。 「いい加減にしてくれ。もっと遠くを探そうと思ったんだ。とにかく 俺は疲れている。一睡もしてないからな」 強い口調以外、この場を切りぬける方法はなかった。ジルは寂しそ うな顔をした。そして俺から視線を外すと、窓から街路を見た。 かすかに漂うフローラルの香りはジル愛用の香水だ。 ハイスクールに向かうティーンエイジャーの一団が見えた。それが 見えなくなるまで、ジルは女の子たちの姿を眼で追っていた。 俺には彼女の気もちが痛いほどわかった。 今度の猟奇事件では、ジルの近所に住む十七歳の少女も殺されてい る。 少女はしばしばジルの部屋に遊びにきていた。 その少女が友だちとキャンプに行った森のなかで惨殺されてしまっ たのだ。 |
「ゆるせない」 そのとき、ジルはポツリとつぶやいた。彼女の瞳には、見えない敵 に対しての怒りがにじみ出ていた。 俺は彼女の肩をポン、と軽くたたいた。 「疲れちまったから少し外出してくるよ。隊長には適当にいっておい てくれ」 俺はジルに軽く手を上げた。 彼女は黙ってうなずいたが、その目はまだ俺になんらかの疑いをも っているかのようだった。 |
ラクーンは最近になって急成長した街だ。 街の北側は湖や森林地帯で、観光地になっている。 その反対側が市街で、市役所や病院などの公共施設を中心に環状線 が走っている。 人口三十万の都市にしては立派すぎるといえるかもしれない。これ はビリーが勤めていたアンブレラ社のおかげともいえた。 俺は環状線を走り、街の東側に通じる路にコブラを向けた。 アンブレラ社の工場や研究所に通じる路だ。この路はとりわけ格段 の整備がされている。 |
朝夕の通勤時しか混まない路だが、片側二車線が整備され、路の両 側には地平線の果てまでパーム・ツリーが連なっている。 ちょっとした南国気分を味わえるのもこの道路だ。 アンブレラ社のラクーン地区本社ビルは、地上六十階建ての洒落た ビルだった。レンガ色の外壁を幾何学模様が彩っている。 さすが、世界をまたにかけるコングロマリットだ。 ラクーンでは一番高い高層ビルで、こんな地方の本社でもそれなり の威厳というものを感じさせる。 本社ビルの前にコブラを止め、俺はビルのなかに入って行った。 ここへきたのは、もちろんビリーのことを調べるためだ。 吹きぬけの開放的なロビーだった。 遠く二十メートルほど先に受付があるのがわかった。いい雰囲気を した女が遠くから俺にほほえんでいる。 「いらっしゃいませ」 |
完璧な笑顔だ。 「玄関からこの受付まで、少し長すぎるな」 すると彼女は「えっ?」という顔を見せた。 「君みたいなきれいな女性に遠くからほほえまれると、この受付に たどり着くまで緊張して、手と足が同時に出そうになっちまう」 俺がウインクをすると、彼女はとびっきり素敵な笑顔を見せてくれ た。 「どんなご用件でしょうか」 俺の思い入れとは無関係に、このほほえみは単に受付業務に忠実な だけだ。ビジネスライクな口調にそれが表れている。 「ある人間の運命について聞きたいと思ってね」 「はぁ?」 彼女は怪訝そうな顔をした。 「ビリー・ラビットソンという俺の友人だ。彼は三ヶ月前、お宅のチ |
ャーター機の墜落で死んでいる。そのときのことを詳しく知りたい んだ」 彼女は当惑した顔で「わかりました」と答えると、内線をプッシュ した。 「恐縮ですが、あちら正面のエレベーターで三十六階にお上がり下さ い。総務の担当員がお待ちしております」 彼女は受話器を置くと、さきほどと同じような笑顔を見せてくれた。 こんな笑顔を毎日見れたらとふと思った。だが、こんなものにはす ぐに飽きちまうのが男だ。 エレベーターを下りるとすぐ手前の応接室に通してくれた。 壁に『水浴びをするニンフたち』と題する油絵がかかっていた。 作者は新古典派の『アングル』だとも書かれていた。 俺は芸術はさっぱりだが、アンブレラ社の会長、オズウェル・E・ スペンサー卿が、大の美術品コレクターとして世界じゅうに知られ |
ていることぐらいは知っている。まちがいなくこれは本物だろう。 ソファーに座っていると、五十すぎの実直そうな男が入ってきた。 「亡くなられたビリー・ラビットソンについてお聞きになりたいと か」 口調もいたって丁寧だ。男の名前はジョンソンといった。 「事故のときのようすを詳しく知りたいんです」 単刀直入に切り出した。 「失礼ですが、どんなご関係でしょうか?」 見るからに真面目そうなジョンソンの名刺には『アンブレラ社ラク ーン支店総務課長』とある。 大企業の管理部門にはこういう男が一番だ。 「幼いころからの友人です。海外で暮らしていたんですが、八年ぶり に帰ってきたら、三ヶ月前に死んだというじゃありませんか。とて も信じられなくて、それで……」 |
俺はぬけぬけとうそをついた。 「そうですか。あの日は悪天候で、それでも管制塔が離陸を許可した もんですから、それで……」 「彼は、シカゴの研究所で新しい研究をするために転勤になったと聞 いたんですが、どんな研究をするはずだったんですか」 「詳しいことは知りませんが、うわさでは、わが社の将来を左右す るような大事な研究と聞いています。ラクーン支店の人間としては 自慢だったんですよ。そういう優秀な社員がいたということは。そ れだけにとても残念です」 ビリーのことをこの男は素直に評価している。 おそらくビリーが生きてるなんて思ってもいないだろう。これ以上 聞いても何も得るところがないと俺は思った。 「最後にひとつだけ。乗員二十一名中、収容された遺体は八名と聞 いてますが、それらはすべて身内の人間に引き取られたのでしょう |
か」 ジョンソンは驚いたように俺の顔を見た。 「もちろんですよ。ただあんな事故ですからね。損傷がひどくて遺体 の識別には苦労しました。かろうじて着衣や所持品で身元がわかり、 お引き渡ししました」 |
やはり何かある。 それが俺の出した現時点での結論だ。 引き取られた遺体は識別不可能に近い状態だったとジョンソンはい った。 だがビリーは電話でこういった。 チャーター機はラクーン空港を飛び立ち、すぐ別の空港に着陸し、 ビリーたちは全員、ラクーンに連れもどされたと。 もしそれが本当なら、収容された八名の遺体も身代わりだったとい うことになる。 |
いったいだれが、なんのためにそんなことをしたのか。 いまのところ考えられるのはアンブレラ社のしわざということだ。 ジョンソンは、ビリーがアンブレラの将来を左右する大事な研究を するはずだったと話してくれた。 そしてビリーは『大変な研究をしてしまった』といっていた。 もし両方の『研究』が同じものだったら、ビリーはアンブレラの命 令でどこかに監禁され、『大変な研究』をさせられ、そこから脱出 し、俺に助けを求めてきたことになる。 しかし、全米有数のコングロマリットともあろうアンブレラ社が、 そんな犯罪を犯すだろうか。 そしてもうひとつ問題がある。 このラクーン市で起きている猟奇事件と、ビリーの事件は関係があ るのかないのかということだ。 いまのところ、このふたつを結びつける手がかりは何もない。 |
いずれにせよ、いまの俺にできることは、一刻でも早くビリーを捜 し出すことだけだ。 俺は、ボート小屋で見つけたビリーのネックレスをバックミラーに 引っかけると、コブラをふたたびラクーンの街へ向けた。 ロージーに会うためだ。 ロージーはビリーの婚約者で、俺とビリーのおさな友だちでもある。 彼女にこのネックレスを見せる必要があるのだ。 なぜなら、俺はこれと同じネックレスをもう一本用意し、ふたりの 婚約祝いにプレゼントしたからだ。 俺の眼に狂いはないと思うが、ロージーに渡したネックレスとこの ネックレスが同じものかどうか確かめたいのだ。 パーム・ツリーの道をコブラが走る。 とそのとき、俺は奇妙な感覚に襲われ、バック・ミラーに眼をやっ た。 |
つけられている!? バックミラーのなかに、後ろからつづいてくる二台の乗用車と、一 台の大型トレーラーが見えた。 どの車かわからない。つけられているかどうかも、はっきりしない。 しかし、長年つちかった俺の捜査官としての感覚が、そうささやい ている。 俺は思い切りアクセルを踏みこんだ。 そして市街へ向かう道を大きくそらした。 コブラは低く吠えると、クンと一気に加速した。 風の巻きこみが激しくなる。それでもアクセルを踏みつづける。や がて、バックミラーに映る車の影が見えなくなり、俺は右にウイン カーを出すと路肩にコブラを停め、ゆっくりと煙草に火をつけた。 後方からくる車をじっと待つ。 風が吹いた。 |
奇妙な感覚はまだおさまらない。 やがてあの二台の乗用車とトレーラーが現れ、俺の前を何ごともな く走りすぎた。 後につづく車はもうない。 錯覚だったのか……。 いや違う。奇妙な感覚は確かにおさまったが、あのとき、まちがい なく俺の背中を突き刺すような視線を感じたのだ。 俺はゆっくりとコブラをUターンさせ、鼻先を市街に向けた。 俺は繁華街の真ん中にあるコーヒーショップにコブラをつけた。 この店は以前ビリーとよくきた店だ。 壁のポスターや店の中の調度は、当時とまったく変わっていない。 それどころか、ほかに客がいないといったところもだ。 俺に気づくと、ポップコーンをほおばりながらテレビのフットボー ルを見ていたマスターが、懐かしそうに声をかけてきた。 |
俺はここからロージーに電話をかけようと思ったのだ。 彼女は、この近所で親戚の叔母さんのやっているパン屋で働いてい る。 店へ行くのをためらったのは、だれかに監視されている以上、不用 意なことはできないと思ったからだ。 俺は、マスターへの挨拶もそこそこにブラックコーヒーをオーダー すると、店の奥にある電話に向かった。 「クリス!」 受話器の向こうから親しみのこもった声が聞こえてきた。 「ロージー、君たちの婚約記念に俺がプレゼントした金貨のネック レス。あれはいまでも君のものかい」 あまり長話はしない方がいいと思い、ずばり切り出した。 「もちろんよ。いまに限らずこれからも永久に私のものだわ。…… でもどうして」 |
いぶかしげなロージーの声が返ってくる。 「ちょっと持ってきてくれないかな」 俺はそれだけいうと、一方的に落ち合う場所だけを告げ、電話を切 った。 待ち合わせの場所は、パン屋から歩いて五分ぐらいの所にある製材 所の倉庫だ。 パン屋のすぐ裏にある彼女のアパートからはわずかな距離だ。 俺が倉庫に着くと、ロージーは店のエプロンを付けたまま待ってい た。 俺は監視されている危険を感じ、コブラには乗らず、コーヒーショ ップからここまで裏道を歩いてきたのだ。 「どういうこと、いきなりネックレスを持ってこい、だなんて。いっ たい何があったの?」 挨拶もそこそこにロージーはわけを知りたがった。 |
ロージーにはビリーの葬式以来会っていない。三ヶ月ぶりの電話で、 いきなりあんなことをいわれれば、だれだって怪訝に思うものだ。 だが俺はそんなことにかまってはいられなかった。 「とにかく見せてくれないか」 「それが……見つからないのよ」 「なんだって!?」 俺は想像もしていなかった答えに驚いてロージーを見た。 「宝石箱に入れて、大切にしまっておいたはずなのに、あのネック レスだけが見あたらないのよ」 俺は詰め寄るように聞いた。 「どこにもないって、どういうことだ!?」 あまりの大声に、ロージーは驚いて俺の顔を見た。そしておろおろ しながらいった。 「ごめんなさい。折角のあなたのプレゼントをなくしてしまうなん |
て」 「そんなことを聞いてるんじゃない。落としたのか、それとも盗られ たのか聞いてるんだ!」 「そんな。盗られたなんて。ほかの宝石はちゃんとあるのよ。きっと 落としたのよ」 頭を突然殴られたような気分だった。 胸のポケットからボート小屋にあったネックレスを出して、俺はロ ージーの目の前に差し出した。 ロージーは思わず「あっ」という声を上げた。 「なぜ、なぜあなたが持っているの!? いったいどういうことなの クリス!」 俺は低い声でゆっくりと尋ねた。 「じゃあ、これは君がなくしたネックレスなのか」 ロージーは、ひったくるように俺から取ったネックレスをじっと見 |
つめ、やがて顔を上げた。 「なぜ、私のネックレスが……」 これはいったいどういうことだ。 俺はいままで、このネックレスはビリーのものだとばかり思ってい た。 だが、ロージーは自分のものだという……。 やはりビリーは生き返っちゃいない。 何者かがロージーの宝石箱からネックレスを盗み、俺にビリーが生 き返ったと思わせるために、わざとボート小屋に置いたのだ。 俺は頭が混乱した。 ロージーはネックレスを懐かしそうに見ながらつぶやいていた。 「覚えてるわ私。クリスが、私とビリーにこのネックレスを婚約祝い だといってくれたときのことを」 一年前、ビリーとロージーが婚約したお祝いに、俺たち三人は、ラ |
クーン市から約三十キロ離れたスキー場へ出かけ、そこの山小屋で ふたりにネックレスをプレゼントしたのだ。 「あの人がシカゴへ転勤する一週間前、私たち、もう一度あの山小屋 へ行って一晩をすごしたの。それが最後の思い出になってしまった わ」 遠くを見つめるようにして話すロージーの眼に、キラリと光るもの が浮かんでいるのを俺は見た。 俺はラクーン市の繁華街を放心したように歩いていた。 人々の行き交う雑踏が、いまの俺には遥か遠いものに感じられた。 ビリーは生きているのか、それとも死んでいるのか。 たった一本のネックレスに俺はふりまわされている。 生きていて欲しいという期待があっただけに、俺のからだから潮が 引くように力がぬけて行くのを感じた。 |
俺はコーヒーショップの前に停めたコブラにもどった。 運転席に乗りこもうとして、ふと顔を上げた。 とたん、またも俺は自分の眼を疑った。 コブラを停めた道路の向こう側の歩道を大勢の人間が歩いて行く。 その雑踏のなかに、俺は一瞬、懐かしい顔を見たのだ。 その男はこちらに横顔を見せ、小さな男の子とならんで交差点の角 の店をのぞきこむようにして立っていた。 その男がふいにこちらを向いた。 ビリー!? 俺は思わず声が出そうになった。 似ている! ビリーによく似ている! 人ごみにまぎれて見え隠れしているが、俺にはビリーとしか思えな い。 一瞬、俺とその男の視線がからみ合った。 |
が、つぎの瞬間、ビリーの視線はわずかに俺をそれ、別のものを見 たように思えた。 同時に、はじかれるようにビリーは俺に背を向けて走り出した。 『ビリー!』 俺は心のなかで叫び、車道を突っきり、追いかけた。 キキキーッ! 向こうからきた乗用車が俺にぶつかりそうになり、急ブレーキをか けた。 かまわず俺はビリーを追った。 通行人が驚いて俺たちを振り返った。 ビリーは路地から路地へと逃げて行く。 なぜ逃げるんだビリー! おまえはビリーじゃないのか!? ニセモノなのか? 俺は懸命に追った。 |
だがその男はついに人ごみにまぎれ、やがて見失ってしまった。 俺は路上に呆然と立ち尽くした。 悪夢をみているのか、俺は!? 腑ぬけになったように、俺は元の交差点にもどってきた。 とそこへ小さな男の子が近寄ってきて、俺の顔を見上げた。 「お兄ちゃん」 それはあの男とならんで立っていた子供だ。 「あのね、さっきのお兄ちゃんが、これをお兄ちゃんに渡してくれ って」 差し出したのは一枚の観光用のパンフレットだった。 『美しい雪山と、白いゲレンデが、あなたを待っている』 表紙にはそう書かれていた。 そして雪山とログハウスを前に、美人モデルがスキーを肩に写って いた。 |
俺は怪訝に思い、目の前の店を見た。 男がのぞきこんでいたあの店だ。 それは旅行代理店だった。 子供が俺に渡したのは、そこにならんでいた観光パンフレットだっ た。 パンフレットに写っているログハウスを見ているうちに、俺の脳裏 には、ついさっきロージーがいった言葉がよみがえってきた。 『あの人がシカゴに転勤になる前、私たちあそこの山小屋で一晩す ごしたの』 これはいったいどういうことだ!? あの山小屋のことを知っているのは、俺とビリーとロージーだけの はずだ。 ということは、あの男はやっぱりビリーで、俺にそれを教えるため に、とっさにこの店のパンフレットを取り、子供を介して俺に渡そ |
うとしたのか。 それとも、これもまた俺をだますために、巧妙に仕組まれた罠なの か。 |
家にもどったのは三時すぎだった。 もうすでに陽は山に落ちようとしている。 早く山小屋に行かなければ日が暮れてしまう。 それでも家にもどってきたのは、今度こそ山小屋で、俺を惑わして いるこの一件に決着が着くと思ったからだ。 もし本物のビリーなら、あのパンフレットでひそかに自分の隠れて いる山小屋を教えたことになる。 そしてもしあいつがニセモノで、俺をだますつもりであのパンフレ ットをよこしたのなら、やつの狙いはなんなのか……それがはっき |
りする。 いずれにせよ、ただごとでは済まないような気がする。 本物のビリーだとしても、追跡者と一戦交えることになるかも知れ ない。ニセモノなら、当然戦うはめになる。 だから俺は愛用のコルトパイソンとショット・ガンを取りに、家へ もどったのだ。 俺の家は、金のない両親が残してくれた唯一の財産である、古びて ちっぽけなテラスハウスだ。 玄関前で、配達された新聞を手に取る。 殺人事件の記事がセンセーショナルに取り上げられていた。市警察 のもたつきぶりを激しくなじっている。そしてスターズの出動を 声高に要求していた。 ドアの前に立ち、ノブをつかんだとき、俺はふたたびあの奇妙な感 覚に襲われた。 |
だれかに見張られている。 風が妙にざわついていた。立て付けの悪いガラス戸がガタガタと鳴 っている。 家の周囲は雑草と潅木が伸び放題で、だれにも見られないように潜 むのにはいたって好都合だ。 俺はゆっくりドアを開けた。 室内に入ると後ろ手でドアを閉め、素早くベレッタを出した。 一階のキッチン、リビング、二階の寝室……と、ゆっくりすみずみ までチェックした。 家のなかは特別変わったようすはない。 しかしなぜか落ち着かない。 留守番電話のメッセージを確認した。 やはりビリーからのメッセージは入ってない。 電話機を上げ裏を見た。盗聴器を取り付けられた形跡はない。 |
過剰反応している自分がわかる。 しかし、まちがいなくこの部屋に見知らぬだれかが入ってきたとい う気配はある。 ビリーなのか。それとも監視者なのか。 とにかく、一刻も早くあの山小屋に向かう必要がある。 俺は寝室のベッドの下の引き出しを開けた。 漆黒の鈍い光を放つショット・ガンと、45口径コルトパイソンが現 れた。 俺はそのふたつを久しぶりに手にした。 リビングのテーブルに行き、弾丸を装填する。 そのとき、俺はふたたび背中にゾクッとしたものを感じた。 俺は窓を背にしている。その窓からだれかが見ている!? 俺はパイソンをつかんだまま、ゆっくりと首をまわし、窓を見た。 だれもいない。 |
素早く窓ぎわに行き、外をかいまみた。 やはりだれもいない。庭に茂る木々の葉が、夕暮れのうす暗い光の なかで風に揺れているだけだ。 俺は落ちつかない気分のまま、テーブルに置いてあるショット・ガ ンを取ろうとして、ふたたび窓に背を向けた。 そのときだ。 ガシャン……! いきなり窓ガラスがたたき割られた。 俺が振り返るより早く、窓から二本の腕が突き出され、俺の首をつ かんだ。 一気にグイグイ締めつけてくる。 凄い力だ。 一瞬、気を失いそうになる。手からパイソンがこぼれ落ちた。 しかし、俺を持ち直させたのは、あの、現場で嗅いだ腐乱臭だった。 |
首を締めつけてくる何者かのからだから、ものすごいにおいが発し ている。 あの犬に似た化け物であるわけがない。ほかにもいたのか!? いっ たいだれだ……!? 声も出ない。振り向きたくてもできない。 わずかに見えるのは、首を締めている腕の一部だ。 人間の腕のように見える。だがその腕はまるでケロイド状で、皮膚 がピンクと黒のまだら模様に変色している。 同じような腕を俺は前にも見たことがある。 殺害され、何日も放置され腐乱した人間の死体だ。 まさか、死体が起き上がって俺に襲いかかってきたというのか!? そんな馬鹿な話はない。 俺は必死になってその腕をつかんだ。 瞬間、俺はまた失神しそうになった。 |
俺がつかんだ手のなかで、相手の腕の皮膚がずるずると破れ、赤む けになった肉がグチュグチュと音を立ててもろく崩れたからだ。 そのせいで腐敗臭はさらに強くなった。 俺は死に物狂いで、窓際のサイドボードの上にあったウィスキーの ボトルに手を伸ばすや相手の頭のある位置を目がけて振りおろした。 グシャ。 鈍い音がして、俺の首を締めていた両手がやっと離れた。 俺は窒息寸前でゼイゼイと息をし、床に両手を突いた。だが、もの の十秒もたたないうちに、俺は必死に立ち上がり窓を見た。 敵は既にいなかった。 俺は床に転がったコルトパイソンをつかみ、表に飛び出し、敵がい た裏庭へ走った。 やはり敵の姿はどこにもなかった。 あの腐敗臭だけが、まだあたりに残っている。 |
自分の手を見ると、あの破れた皮膚の一部が手のひらに付着していた。 俺の全身は総毛立った。 そのとき、ガサッと土を踏む音が聞こえた。 振り向きざまにコルトパイソンを構え、引き金に力をこめる、 「クリス、私よ!」 ジルが叫んだ。 俺は両手に構えたコルトパイソンを静かに下ろした。 「いったいどうしたの? 顔が真っ青よ。それにこのあたりに漂う 異様な臭気、吐き気がするわ」 彼女はハンカチで鼻と口を押さえた。 「ジル、何か見なかったか」 俺の息は荒かった。 「何かって?」 「見てないなら、それでいい」 |
俺は吐き捨てるようにいい、家のなかへもどるや、ショット・ガン と弾丸の入った箱をつかんだ。 「いったい何があったの?」 後ろからついてきたジルが、これ以上容赦しないといった顔で俺の 前に立ちはだかった。 俺は何も答えなかった。無性に腹が立って仕方がないのだ。 二度までも化け物に襲われ、捕まえるどころか、その正体すらわか らないのだ。 俺は家を出ると、コブラに向かって足早に歩いた。 「いい加減にしてよクリス! いつまで隠してるつもり!? いつも のあなたらしくないじゃない」 俺はコブラに乗った。 「スターズのメンバーは、いつどこで危険に命をさらすかわからな い。だから信頼し合わなくちゃいけない、って言ってたのはクリス |
じゃなかったの」 いつになく真剣な顔をして、ジルは俺をじっと見た。 その通りだ。どうかしてるぞ俺は。この程度のことでカッカして。 俺は、黙って助手席のドアを開けてやった。 ジルはニッと笑い、滑るように助手席に乗りこんだ。 俺はコブラのギアーをローにたたきこみ、一気にアクセルを踏んだ。 物凄いホイール・スピンで、テールを振りながらコブラは猛然とダ ッシュした。 あの山小屋はヴィクトリー湖の向こう側にある。 俺は運転しながら、ジルの横顔をチラリと見た。 ジルは無言で前方を見据えたままだ。 俺がこれから、きのうからきょうにかけて起きたことすべて話す だろうということを、ジルは知って待っているのだ。 コブラはすでに山道に入っていた。 |
ロージーの手紙にあった山小屋まであとわずかだ。 その前に、やはりジルには話しておくべきだろう。 「きのうの晩、ビリーという男から、電話が入った……」 俺は、一語一語区切りながら、すべてを話した。 「そんなことがあったの」 ジルは俺の話を聞きおわると、驚きを隠さずにいった。 「しかしいま起きている猟奇事件と、ビリーが関係しているという 証拠はまだなにひとつない」 俺は慎重にいった。 「そうね。でもあなたの話を総合すると、関係あるとしか思えない わ。とにかく山小屋へ行って、それでもはっきりしなかったらスタ ーズに報告すべきよ。その方が、もしビリーが本物だった場合、助 けられる確率も高いように思えるの」 俺は煙草に火をつけ、うなずいた。 |
ジルに話してやはり良かった。俺はビリーが親友ということもあり、 事件にのめりこみすぎ、客観性を失っていたのかも知れない。 だが俺は、山小屋ですべて解決すると確信していた。 あたりは薄暗くなりはじめていた。 唸るような重低音のエンジン音が、森じゅうに響き渡る。 はやる気もちを押さえてコブラを運転した。 小さな川を渡り、少し走るとやっと目指す山小屋に着いた。 懐かしい建物だった。俺もビリーやロージーといっしょに何回かこ の小屋にきているのだ。 しかし感傷に浸っている暇はない。 俺はジルにショット・ガンを渡し、コブラから降りた。 「いいか。相手が人間だろうが、化け物だろうが、危険が迫ったら容 赦なく撃て」 ジルは真剣なまなざしでうなずいた。 |
山小屋の鍵はかかったままだ。 彼女はキーピックを取り出し、あっというまにドアの鍵を開けた。 山小屋のなかは長年使っていないせいか、どんよりとよどんだ空気 がカビ臭い。 「ビリー」 俺は静かに呼んだ。 しかしなんの反応もない。 一階は大きなリビングだった。歩くと、ミシッと大きく床が悲鳴を 上げた。 「ジル、俺は二階を見てくる。きみはこのフロアーを調べてくれ」 俺が二階につづく階段を上がろうとすると彼女が声を張り上げた。 「クリス、見て!」 振り返った俺にジルが指差したのは、床に転がる、ふたの開いたビ ーフの缶詰だった。 |
「まだ新しいわ」 ジルが缶の中身をじっと見ている。 ほかにも空き缶がいくつか転がっている。 俺は二階へ駆け上がり、やつを探した。 しかしビリーはいなかった。 この缶詰は本当にビリーの食べ残したものなのだろうか。それとも そう思わせるためにだれかが置いたのか。 「とにかくここでしばらく待ってみよう」 俺とジルは小屋のなかの物陰に隠れ、つぎなる展開をじっと待つこ とにした。 ビリーがもどってくるのか。それともニセモノが何か異変を起こす のか。 だがその結果はなかなか出なかった。 一時間がすぎた。 |
まだ何も起こらない。 と、そのとき突然、俺の携帯電話がコールされ、思わぬ声がとびこ んできた。 「クリス……」 バリーからだった。 「バリーか。どうした」 少しのあいだ返事が聞こえなかった。おかしい、いつもの元気なバ リーとようすが違う。 「いまどこにいるクリス、すぐにでも会いたいんだ」 「何かあったのか」 ジルも横で不審気に聞き入っている。 「頼む。話は会ってからする。きてくれ」 俺の脳裏にビリーの顔が浮かんだ。 最初の晩、ビリーと名乗る男から電話がかかってきたときも、いま |
のバリーのような調子だった。奥歯にものの挟まった感じで、詳し い話は会ったときにするといっていた。 俺は胸騒ぎを覚えた。 「バリー、俺はいま手が離せない。いったい何があったんだ」 俺は急かすように聞いた。 ふたたび沈黙がつづき、やがてバリーは低い声でいい出した。 「じつは、俺の一身上にとんでもないことが起きたんだ。頼むから、 会って聞いてくれ」 「とんでもないこと?」 バリーには愛する奥さんと娘がふたりいる。そのなかのだれかに問 題が起きたのか。 「行ってあげてクリス。あなたが帰ってくるまで、ここは私が見張っ ているから」 俺は迷った。やはり行くしかないのか。 |
「ジル。くれぐれも気をつけてくれ」 俺はようやく決心すると、コブラに乗りこんだ。 |
バリーのいう一身上の問題とはいったいなんだ? 確かに差し迫った声を彼は出していた。 バリーの指定した場所は、郊外の大型レストランの駐車場だった。 店のなかを避けたというのは、目立ちたくないということなのか… …、俺は駐車場の一番はしに、スモール・ランプをつけただけのコ ブラを停めた。 時計を見る。 あの山小屋からずいぶん飛ばしてきたが、指定された時間を五分す ぎていた。 |
しかしバリーが乗っているピック・アップの姿はまだ見えない。 入ってくる車、一台一台に目を凝らした。距離から考えて、当然彼 の方が先に着いてなくてはならないはずだ。 バリーを待ちながら、いらいらしている自分がわかる。 山小屋のことが気になってしようがない。 いまごろ、山小屋で異変が起きてないか。だれか現れたとしたら、 それはビリーなのか、それとも罠をかけたやつなのか。 約束の時間からたちまち三十分がすぎた。 俺はしびれを切らした。 コブラに搭載している警察無線に手を伸ばし、スターズを呼び出す ことにした。 驚いたことに、バリーはスターズの事務所にいた。 「どういうことだバリー!? 俺と会う約束を忘れたのか!?」 肩透かしを食らった俺は、思わず怒りで大声を上げた。 |
「いやあ、すまんすまん。急用ができて、どうしても行けなくなっ たんだ。そう怒るなよ」 バリーの声はさっきとは打って変わって、明るさをとりもどしてい た。 俺は怒るより呆れた。いったいどういうことだ。 「そんなことよりクリス、大至急事務所にくるんだ。スターズ全員に 集結命令が出ている」 「なんだって?」 「決まったんだよ。猟奇殺人事件は俺たちスターズが担当することに な。出動の第一陣はブラボー・チームだ」 市民の声に押されて、とうとうブライアン署長が断を下したのだろ う。 「ジルにも連絡を取ろうと思ったんだが、無線が通じなくて困ってい るんだ」 |
バリーのその言葉に俺はハッとなった。 ジルにはハンディタイプの無線機を渡してきている。それが通じな いというのはジルの身に何か起きたに違いない。 俺は山小屋に取って返すべくコブラのエンジンをかけた。 山小屋に着いたのは、それから三十分後だった。 あたりはすでにとっぷりと暮れていた。月は垂れこめた雲の向こう に隠れ、山小屋の黒々とした影が停めたコブラにのしかかっていた。 静寂があたりを包んでいる。 山小屋に一点の明かりも見えないのは、ビリーがまだ帰っていない からなのか。それとも小屋のなかで異変が起きたからなのか。 俺は懐中電灯をダッシュ・ボードから取り出した。 ショット・ガンを片手に、山小屋の古ぼけた木のドアの前に立った。 静かにドアを押し開ける。 |
室内から流れ出るあのなんともいえぬ腐敗臭が、俺の鼻こうを一気 に突き刺してくる。 俺のからだは、たちまち恐怖と緊張感に支配された。 化け物がいる! 俺は条件反射のように、ドアを蹴飛ばし、部屋のなかに転がりこん だ。 物陰に飛びこむと、闇を透かしてあたりをうかがう。 小屋のなかは不気味に静まり返っている。ショット・ガンのトリガ ーに指をかけながら、壁づたいに注意深く歩く。 ジルはどうなったんだ。 闇に眼が慣れてきて、あたりの状態がぼんやりわかると、俺は愕然 とした。 大きなテーブルが横倒しになっている。風が吹き込んでくるのは窓 ガラスが割れているせいだ。 |
俺は危険を承知で懐中電灯をつけた。 まるでハリケーンが通りすぎた後のように、部屋は見るも無残な姿 をさらしていた。 丸太で組んだ壁は、凄まじい衝撃を食らったかのようにバリバリに 砕け、大きな穴からは外が見える。二階へ通じる階段も途中でちぎ れ飛んでしまっている。 家具という家具はすべて倒れ、床にあいた穴からは、地面がのぞい ていた。 まさかあの犬に似た化け物がやったのか。そんなはずはない。俺の 首を締めた腐った腕の持ち主でも無理だ。 しかし、あいつらのときと同じ腐敗臭が漂っているのだ。 化け物はいったい何種類いるんだ。俺は悪い夢を見ているらしい。 どこにもジルとビリーの姿はなかった。 俺はもっと奥を調べようと足を一歩踏み出した。とたん、ヌルッと |
何かに滑り、倒れそうになった。 床にかがみ込み、手で触れてみる。 ベットリと手に何かがくっついてきた。懐中電灯で照らすと、それ は半透明のゼリー状の液体で、指のあいだから糸を引いて床にどろ りと流れ落ちた。 生臭い。何か俺たちの想像を絶する生物の体液に違いない。 穴の空いた壁から突風が吹き込んできた。 ジルはどこにいる!? ビリーは!? と、そのとき、俺の耳に風に乗ったあの不気味な咆哮が聞こえてき た。 クオーン! 一瞬にして総毛立つ。 あの犬に似た獣の遠吠えだ。 俺はショット・ガンを手にしたまま、表へ飛び出した。 |
ジルの姿を求めて無我夢中で走った。 風にきしむ木々のざわめきが、化け物の咆哮に聞こえる。 俺の五感はビンビンに鋭くなっていた。 その鋭くなった耳に、ふたたび異様な物音が飛びこんできて、俺は 足を止めた。 ズズズ…… 地面の上を、何か重たいものを引きずって行くような物音だ。 近いのか遠いのか、距離が計れない。 その音がピタリとやみ、ふたたび風にきしむ木々のざわめきだけに なった。 物音の主はいなくなったのか。いや、近くにいる。 とそのとき、俺の頬に生温かい液状のものが落ちてきた。 手で触れてみると、それはあの小屋で見た体液と同じものだ。 いったい俺の頭上に何がいるというんだ……!? |
俺は恐怖にゆっくりと顔を上げ、頭上を見た。 漆黒の夜空に被さるように、もうひとつ大きな漆黒の輪郭がぼんや りと見えた。輪郭のなかにはぎらぎらと光るふたつの眼。 思わず俺の膝がガクガクと震えた。 つぎの瞬間、まるで反動をつけるかのように、その輪郭と眼がいっ たん空へ遠ざかったかと思うと一気に俺に襲いかかってきた。 俺はショット・ガンを撃つのも忘れ、地面を転がった。 バキバキバキッ! 周囲の灌木がその輪郭につぎつぎとなぎ倒される。 いったん空へもどった輪郭が、今度は正確に俺に狙いをつけて襲っ てきた。 俺はショット・ガンを撃とうとした。 しかし、それより早く闇夜に閃光が走った。 ガン! ガン! ガン! |
乾いた銃声は、間違いなく俺のコルトパイソンだ。 「逃げてクリス! 逃げるのよ!」 前方の岩陰からジルが夜空に向かって発砲している。 俺は、その言葉にはじかれたように走った。 ジルも岩陰から飛び出し追ってくる。 近くを流れる川の音に混じり、あの重たい物を引っ張るような不気 味な音が迫ってくる。 「大蛇よ! あれは!」 ジルが後ろから叫んだ。 大蛇だと!? バカな! いくらアメリカ広しといえど、あんなでかい大蛇がいる ものか! 「あいつが突然現れて、山小屋をめちゃくちゃにしたのよ!」 急斜面へ出た。 |
俺とジルはなんの躊躇もせずに斜面を転げ落ち、岩陰に身を寄せ合 うようにして隠れた。 ズズズ…… 物音が斜面の上を遠ざかって行く。 どうやら助かったようだ。 俺とジルは肩で大きく息をしていた。 「とにかくわけを話してくれ」 ジルの説明によると、俺がバリーに会いに出かけてから二十分ぐら いして、ひとりの男が山小屋に入ってきたというのだ。 俺からビリーのことを聞いていたジルは、暗闇のなかにたたずむ男 を冷静に観察した結果、確信をもって物陰から出て声をかけた。 その男は最初驚いたが、ジルが俺の同僚だとわかると喜色を表し、 自分はまちがいなくビリーだと名乗りジルに近づいてきた。 そのとき、突然、山小屋に凄まじい振動が起こったかと思うと、壁 |
をブチ破り、あの輪郭が襲いかかってきたというのだ。 ジルもビリーと名乗るその男も、必死に山小屋から飛び出した。無我夢中で 走り、あの岩陰に飛びこんだとき、男の姿はすでになかった。 俺は立ち上がった。 ジルから聞くかぎり、まだその男がビリーだとは確信がもてない。 とにかく俺はジルに、ふたりがはぐれたと思われる場所へ案内させた。 そして彼女が逃げた方向とは逆の方向へ、俺は歩き出した。 当然ジルも俺の後を追ってきた。 三十分ぐらい森のなかを歩き、ついに俺たちは目標の男を発見する ことができたのだ。 「クリス、あそこ!」 ジルが叫んだ。 前方のゆるやかな斜面をよじ登って行く男の後ろ姿が見えた。 斜面の向こうには、森のなかを走るフリーウェイがあり、道路わき |
には閉鎖されたレストランがあった。 その後ろ姿に俺はいとおしい感情を覚えた。 ビリーだ? いやビリーのように見える。 しかし、まだわからない。 「ビリー!」 俺は思い切って、大声で呼んで見た。 男はビクンと振り返った。 その男の顔は……まちがいない。死んだはずのビリーだった。 「クリス……」 みるみる男の顔が喜びでくしゃくしゃに歪んでいった。 良かった。 ビリーに生きていて欲しいという俺の願いはかなったのだ。 「ビリー!」 俺はもう一度叫んで、ビリーに向かって走ろうとした。 |
が、俺の足は止まった。 ビリーの喜んだ顔がみるみる恐怖に引きつりはじめたからだ。 その眼は、俺とジルの背後に注がれている。 どうしたというんだ。 俺とジルは恐る恐る背後を振り返った。 あたりは闇に包まれ、何も見えない。 一瞬の静寂が訪れる……。 つぎの瞬間、俺たちは言葉にならない恐怖感に、からだじゅうの全 神経が凍り付いた。 ズルッ、ズルッ…… 地面を引きずるような人の足音。 「……!」 ウウ……、ウウ…… うわずったような人のうめき声。 |
それもひとりやふたりではない。三人、四人、いや五人以上はいる。 風に乗って、あの腐敗臭があたりを包みはじめた。 ビリーはその正体を知っているのか、唇がヒクヒクと引きつってい る。 やがて連中は姿を現した。 人間、いや人間のように見える化け物たちだ。 どれもドス黒い顔をして、頬はげっそりと落ち、生気がまったく感 じられない。 眼のまわりは落ち窪み、眼球だけが異様に飛び出している。 両腕を前にぶらんと出し、足を引きずるようにして、ゆっくりと俺 とジルに迫ってくる。 まちがいない。家で俺の首を締めたのも、こいつらの仲間だ。 そいつらは茫然と立ち尽くす俺たちに近づくと、ガッと口を開けた。 あの腐敗臭が鼻を突き、黄ばんだ汚い歯がのぞいた。つぎの瞬間、 |
いままでの緩慢な動きからは信じられないスピードで俺とジルに襲 いかかった。首に食らいつこうとする。 「なんだこいつら! やめろッ!」 「キャーッ!」 俺はジルの悲鳴というものをこのとき初めて聞いた。 突き飛ばしても突き飛ばしても、連中はくじけることなく襲いかか ってくる。 「撃てクリス! やつらは人間じゃない、ゾンビだ!」 「ゾンビ!? そんなバカな」 ジルも信じられない、という顔で一瞬、ビリーを振り返った。 「撃て! 撃つんだクリス!」 ビリーが叫び、俺は反射的にショット・ガンの引き金を引いた。 ズガーン! 弾丸を腹に食らい、血肉があたりに飛び散り、化け物は後ろへ吹っ |
飛び、地面にたたきつけられた。 だがなんてことだ! やつらはのそのそと、また起き上がってきたではないか。 ズガン! ズガン! ズガン! 俺とジルは狂ったように弾丸を発射した。しかし結果は同じだ。 連中は起き上がってくる。 「脳天を吹き飛ばせ! それしか倒す方法はない!」 叫んだビリーの声が悲鳴に変わった。 いつのまにかビリーも化け物に囲まれていたのだ。 「逃げろビリー! 逃げるんだ!」 俺は戦いながら必死に叫んだ。 ビリーは前方に建つ閉鎖されたレストランの窓ガラスへダイブした。 つぎの瞬間、彼の絶叫が俺たちの耳を突き刺した。 「ギャーッ!」 |
「ビリー!」 俺とジルは化け物の頭めがけて弾丸の雨を降らせながら、レストラ ンに向かって走った。 ふっ飛ばされたゾンビの頭は粉々に砕け、首の断面からドス黒い腐 った血が周囲に飛び散る。 俺とジルはようやくレストランにたどり着き、ビリーが破った窓か らなかへ飛び込んだ。 だがそこに、また新しい化け物たちがいた。 まるでゴリラのような化け物だ。 長い両手に鋭い爪。開いた口には長い牙。ほかの化け物と同じよう に腐敗臭を漂わせている。 そいつらがビリーに襲いかかり、首に食らいついていた。 ビリーの胸は、えぐられた喉からあふれる夥しい鮮血で真っ赤に染 まっている。 |
俺とジルはゴリラの化け物に攻撃を加えた。 だが外のゾンビとは違い、断続的な素早さで天井に張りついたり、 飛び降りたりしては攻撃を加えてくる。 それでも必死に闘い、床に倒れたビリーを抱え、隣室へ飛びこんだ。 転がっていた鉄パイプでドアをしっかり固定する。 そして、俺たちは壁に寄りかかるように倒れたビリーに走り寄った。 「ビリーッ、しっかりしろ!」 俺はビリーを助け起こした。鮮血が手にべっとりと着く。 ビリーの破れた喉はヒューヒューと音を立て、それでもあえぎなが ら必死に俺に語りかけてきた。 「ク、クリス……ありがとう。俺を助けにきてくれて……」 金貨のネックレスをボート小屋にかけておいたのも、子供を介して 山小屋のパンフレンットをよこしたのも、やはり本物のビリーだっ たのだ。 |
「俺たちは、Tウイルスの研究をしていて、それでゾンビを……」 「Tウイルス!?」 ジルがオウム返しにいった。 「俺たちってどういうことだ? おまえといっしょに研究していた仲 間は、チャーター機に乗ってた連中はどこにいるんだ!」 ビリーは必死に話しつづけた。 「俺だけが逃げ出せたんだ……だから連中はなんとしても俺を……」 ビリーを追った連中は、この俺にビリーが生きていると思われたく なくて、だからロージーのネックレスを盗み、俺を混乱させたのだ。 「その連中とはだれなんだ!? アンブレラなのか!?」 だがビリーはそれ以上何も俺にいうことはできなかった。 ビリーのからだからすべての力がぬけ、俺の腕のなかに全身をもた せかけてきた。 「ビリー……!」 |
何度も彼の名を呼んだ。 ビリーのからだを抱き抱えていると、ふたたびあのズルズル……、 という足を引きずる音が聞こえてきた。 「逃げるのよクリス!」 腕のなかで息絶えているビリーを茫然と見つめていた俺の手を、ジ ルが思い切り引っ張った。 俺たちはレストランの裏口から外へ飛び出した。 そこにもゾンビがうろついていた。俺たちを見つけると近寄ってく る。 俺とジルは銃をブッ放しながら走った。 どこをどう走ったのか、気がつくと俺たちは山小屋の近くに停車し たコブラの前に立っていた。 振り切れた。 安堵の息を漏らし、俺とジルはコブラのシートにへたりこんだ。 |
「信じられない。ゾンビが本当にいるなんて」 俺の脳裏にビリーの死に顔が浮かんだ。 せっかくビリーにたどりついて、本人だと確かめたのに、結局助け ることができなかった。 俺は腹立たしさに、コブラのハンドルを拳でガンとたたいた。 ジルは、慰める言葉もないといった顔で俺を見ている。 俺は気を取り直し、コブラをスタートさせた。 もはやここにいる理由は何もない。 森をぬけると、爽やかな風が俺とジルのあいだを吹きぬけ、からだ に染みついたあの腐敗臭が洗われて行く。 しかし、今夜の惨劇がこれで終わらないことを、俺はこの直後知っ たのだ。 一刻も早く署に連絡しなくてはと、警察無線のスイッチを入れたと たん、絶叫に近い悲鳴が飛びこんできたのだ。 |
「聞こえるかっ!? 応答しろ、エンリコ!」 「た、助けてくれっ! なんだこいつらは!?」 「どうしたっ! いったい何があったんだ!?」 ジョセフの怒鳴り声が聞こえ、それに交じって銃声も聞こえる。 俺とジルは一瞬にして、すべての状況を理解した。 俺たちアルファチームよりひと足先に出動したエンリコ・マリーニ が指揮するブラボーチームが、どこかであの化け物たちに襲われて いるのだ。 「ギャーッ!」 「クソッ、これでも食らえ!」 銃声が響く。 「応答しろブラボーチーム! エンリコ! エンリコッ!」 あれだけ冷静沈着なウェスカーが無線の前で動転しているのがわか る。やがてブラボーチームの隊員たちの声がまったく聞こえなくな |
り、ザーザーという無線の雑音だけになった。 「クリス!」 運転席の隣に座っているジルの顔も恐怖に引きつっている。 「とにかく急いで署にもどるんだ!」 俺は焦る気もちを必死に抑えて、コブラのアクセルを踏みこんだ。 俺たちがラクーン市警察署へもどると、天と地がひっくり返るよう な騒ぎになっていた。 署員たちがわめき合いながら、廊下を走りまわっている。 俺とジルはスターズのオフィスへ直行した。 ドアを開けると、まず耳に飛びこんできたのは、応答しない無線に 必死になってコンタクトしているジョセフの声だった。 「応答しろブラボーチーム! 応答してくれ!」 ほかのメンバーも、何がなんだかわからないといった顔で立ちすく んでいる。 |
俺たちが入ると、最初に振り返ったのはバリーだった。彼はあわて て視線をそらした。 俺はバリーに待ちぼうけを食わされたことを思い出した。 やつの態度はやはり変だ。いったい何があるんだ。 「隊長、ブラボーチームが消息を絶ったのは、どの地点ですか?」 ジルが壁に貼られた地図の前に立ち、ウェスカーに聞いた。 「わからない。よほどあわててたんだろう。いくら無線で聞いても 答えなかった」 ウェスカーがうめくようにいった。 「あきらめないで。まだ全滅したと決まったわけじゃないのよ。い っこくも早く消息を断った場所をつかめば、希望があるわ!」 ジルが部屋の重苦しい空気を切り裂くかのように鋭く叫んだ。 「その通りだ」 俺がいうと、メンバー全員が地図の前に集まってきた。 |
どこなんだ? いったいどこで消息を絶ったんだ。 俺はじっと地図を見つめた。 地図には、いままでの六件の猟奇殺人事件の現場が赤い丸で記され ていた。 それをじっと見ているうちに俺は気がついた。 急いでボールペンをつかむと、その赤い丸をすべて線で結んでみた。 すると線はきれいな円を描いた。 「中心はここだ! いままでの六つの事件はすべてここから等距離 の地点で発生している!」 アルファチーム全員の眼がその一点に注がれた。 いや、アルファチームのほかにもうひとり交じっていた。それは新 人だという理由で、ブラボーチームの出動に加われなかったあのレ ベッカだった。 円の中心地点はラクーン市から約二十キロ離れた丘陵地帯の森のな |
かを指していた。 ジルがパソコンへ走り、激しくキーボードをたたいた。 エリア・マップを呼び出し検索する。 「建物があるわ!」 全員が一斉にジルを振り返った。 「建物!? 持ち主は?」 ウェスカーがたたみこんだ。 ジルが素早く検索する。 「所有はアンブレラ社……以前は同社の保養施設……現在は廃屋…」 アンブレラ社!? そのひとことで俺は、この事件のすべてを知った。 アンブレラ社は、恐らくその洋館のなかでビリーたちに『Tウイル ス』と呼ばれる研究をさせ、あの化け物、ゾンビを作り出したに違 いない。 |
ウェスカーが立ち上がり、キッと一同を見まわし、壁の地図をたた きながら叫んだ。 「出動だ! アルファチーム! 目標はアンブレラの元保養施設。全 員、重装備で現地へ向かえ!」 たちまちスターズのオフィスは喧噪につつまれた。 迷彩服に身を固め、武器庫からつぎつぎに重火器を運び出す。 スターズのオフィスのドアが大きく開かれ、俺もジルもメンバー全 員が廊下へ飛び出した。 「隊長! 私も連れてって下さい!」 レベッカが追ってくる。 もちろん、新人をいきなりこんな危険な場所へ連れては行けない。 必死にすがりつくレベッカを全員が無視して、署の屋上ヘリポート へ向かった。 そこには黒光りするジェットヘリが待機していた。 |
俺たちがつぎつぎに乗りこむと、ヘリは轟音をあげて漆黒の夜空へ と舞い上がった。 「ブラッド、おまえは目的地で全員がヘリから降りた後、上空待機し ろ! 無線は開いたままでだ」 ウェスカーが銃を点検しながら命令する。 「了解!」 時刻は夜中の二時をまわっていた。 ラクーン市のイルミネーションが遠のいて行く。 俺はいままでの疲れが消え、心が勇躍した。 ビリー、おまえの仇は取ってやるぜ。 見てろ化け物たち。 そして、その背後にうごめくやつら。 おまえたちの正体を暴き、いままで惨殺された六人、いや、七人の 墓に、えぐり出したおまえたちの心臓を供えてやる。 |
そう決意すると同時に、俺には新たな疑惑が沸き上がってきた。 それはバリーである。こうしてともに出動しても、以前のバリーな ら、エキサイティングな闘志をむきだしにするはずだ。それが今回 に限って、弱々しく後ろに控えている。 それに俺への態度もよそよそしい。 いったい何があるのだ。 この先に、まだ大きな困難が待ち受けてるのではないかと、俺の不 安は増大して行った。 果たして俺たちは無事事件を解決してもどることができるだろうか。 俺の耳には、闇夜に吠えるあの獣の声が聞こえたような気がした。 クオーン…… 眼下には、巨大な森が真っ黒な口をぽっかりと開け、俺たちを待ち 受けている。 |